3日はバドミントン女子ダブルス決勝の日だった。世界ランキング3位の永原和可那(24)松本麻佑(24=北都銀行)組は、金メダル候補に成長した。周囲の勧めで社会人からペアを組んだが、当初はうまくいかなかった。17年に腹を割って話し合い、気持ちを1つに再スタート。18年世界選手権で優勝し、長身ペアは金メダルを現実視できるようになってきた。

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オリンピック(五輪)が1年延期となっても、松本は「自分たちの目標は変わらない」と話す。金メダルへ向かう2人の思いが固まったのは、3年前の話し合いがきっかけだ。

同学年で、ともに北海道出身だが、ペアを組んだのは社会人になってから。170センチの堅実な永原と177センチのマイペースな松本。タイプは違ったが「高身長の2人なら強くなる」と周囲の勧めもあり、ペアを結成した。高い打点からの連続攻撃は、日本代表朴監督も期待したが、4年目で壁に当たった。人見知りの2人は、それまで練習でさえコミュニケーションが取れていなかった。

17年9月のジャパンオープン後、拠点の秋田に戻り、2人だけで話をした。体育館で床に座って約1時間。松本は「(自分は)高校時代から淡々とやるタイプ。話し合いが必要と感じてなかった。1度そういう機会を設けた方がいいかと」。永原も「(松本が)何を考えているか分からなかった。どこまで行きたいか、何が必要か。時間がない。覚悟決めてやらないとと思った」。思いをぶつけ合い、意識が変わった。同年12月全日本総合はタカマツペアに敗れたが、すべて出し切り、互いに納得。永原は「取り組み方が今までと変わって手応えがあった」と振り返る。

18年に初めてA代表に選出され、8月の世界選手権で優勝。リオ五輪金のタカマツ、当時世界ランク1位のフクヒロ(福島由紀・広田彩花組)を撃破した。「大きな1歩を踏み出せた」(松本)と回想する通り、東京五輪がはっきり見えた瞬間だった。

2人の快進撃は2枠の出場権争いを激化させた。翌19年は追われる立場となり、5月からの五輪レース序盤は苦しんだが、話し合いを重ねて立て直した。8月の世界選手権決勝は、2年連続でフクヒロを破って連覇。永原は「あの(18年)優勝があったから今がある」。今度は金メダルを視界に捉えた。

現在、世界ランクは1位中国ペア、2位フクヒロ、3位ナガマツ。ナガマツの五輪初出場は目の前にあるが、出るだけではもう満足できない。永原は「今は(松本の)気持ちを聞くことができているので、試合中でも信じてプレーできている」。松本も「ずっとこの人じゃなきゃというのはなかったが、今はそうじゃない」とパートナーへの思いを口にする。血が通うようになった2人は、気持ちを1つにして来年を見据えている。【松熊洋介】

◆永原和可那(ながはら・わかな)1996年(平8)1月9日、北海道生まれ。小学校からバドミントンを始める。青森山田高3年時に高校総体ダブルス優勝。14年に北都銀行入り。170センチ、血液型B。

◆松本麻佑(まつもと・まゆ)1995年(平7)8月7日、北海道生まれ。とわの森三愛高3年時に高校総体シングルス、ダブルスともに8強。14年に北都銀行入り。177センチ。血液型A。