7月1日で、東京オリンピック(五輪)のレスリング競技開始まで1カ月となった。有観客か無観客か。新型コロナウイルスの感染状況で流動的な中、選手の家族も決定を待つ。男子フリースタイル57キロ級で6月に初代表を決めた高橋侑希(27=山梨学院大職)の妻早耶架さんは、山あり谷ありの夫とともに戦い、支え合ってきた。「偶然は必然」。その言葉を胸に、本番を迎える。

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山梨県内のわが家にはゆずが歌う「栄光の架け橋」が流れていた。6月12日の夜、都内でプレーオフを終えた夫を迎えるために、早耶架さんは大忙し。「内定おめでとう!」と書いたケーキ、夫の両親が用意してくれたくす玉、そしてBGMは「栄光の架け橋」。「安心した~」と照れながら喜ぶ姿に、この2年間の苦難が報われた気がした。

メダルで代表内定だった19年の世界選手権で4回戦敗退。同年末の全日本の決勝でライバルの樋口に敗退した。5年前はアジア予選を樋口が突破し、そのまま銀メダリストに。ここまでは16年リオ五輪と同じ流れだったが、今回は樋口がアジア予選で計量失格。5月の世界最終予選の出番が回ると出場枠をつかみ、樋口とのプレーオフを迎えた。

家族の思いを胸にしまっていた。前日に妻が渡したのは、両家の家族からのメッセージ入りのハンカチ。試合の規定でシングレット(ウエア)の中に白ハンカチを入れる。そこに妻は「自分を信じて 『いつも通り!!』 侑希は強い!! 大丈夫 今日はきっといい日になる」と書いた。夫は「これが背中をおしてくれた」と勝ちきった。

コロナ禍でも、支えたのは妻だった。元選手で普段から練習に付き合うこともあったが、練習場の閉鎖で2人での時間が増えた。向かったのは山。人がいない山までドライブし、山道などでダッシュを繰り返す姿に、声をかけ続けた。時には自らも打ち込み相手に。感染状況が落ち着いた後は、ジムにも一緒に通った。

4月、1度は閉じたと思った扉は開いた。5月の最終予選の出発前、「絶対勝ってくるから見といて」と強気の姿があった。「今まではそんな事を言うタイプじゃなかった」(早耶架さん)。最終予選、プレーオフと連勝。「侑希は選手としても人としても成長した」と、身近で思う。

「偶然は必然」。2人が一番大切にしている言葉だ。もともとは早耶架さんが現役中の座右の銘で、いまは夫も。さまざまに苦しい出来事も続いたが、それは必然だったと2人で進んできたから思える。

すでに五輪期間中の会場近くのホテルは予約したが、チケットは確保できておらず、有観客になるかも不透明。ただ、「それも偶然は必然と思って。もし入れなくても、近くにはいますから応援します」。試合中は「ゆうきーー!」の大きな声での声援が、いつもこだましていた。それはかなわなくても、会場にいてもいなくても、またいい日になると信じて、その日を迎える。【阿部健吾】

◆高橋侑希(たかはし・ゆうき)1993年(平5)11月29日、三重県生まれ。いなべ総合学園高時代、55キロ級で09~11年高校総体3連覇。山梨学院大へ進学し、14年全日本選抜選手権に優勝し、世界選手権初出場で5位入賞。17年大会では日本のフリーでは36年ぶりに世界一に。昨年12月にALSOKを退社し、4月から山梨学院大でコーチを務める。159センチ。