【元女子プロの群像】コロナ禍の自分を反面教師に「楽しく勝つ」監督に/柳理菜の場合

挫折を味わい、自分を変えようと努力している現監督。野球のできる環境を自ら開拓し、今は子育てに奮闘する前監督。日大国際関係学部女子硬式野球部の元女子プロ監督2代の物語をお送りします。ふたりが思い描く「楽しく、納得して、勝つ」野球とは。1回目は現監督、柳理菜さん(26)のストーリーです。

その他野球

◆柳理菜(やなぎ・りな)1997年5月11日生まれ、神奈川県川崎市出身。小2の時に野球を始め、中学では狛江ボーイズでプレー。蒲田女子高から日大国際関係学部に進み、2019年に日本女子プロ野球リーグのトライアウトに合格。埼玉アストライアに入団した。投手、164センチ、右投げ右打ち。リーグの事実上の活動休止に伴い現役引退。母校に戻り、昨年秋に監督に就任した。

日大国際関係学部 女子硬式野球部

「野球が嫌になりました」

柳さんは正直に言った。

新幹線で三島まで行き、伊豆箱根鉄道に乗り換え、伊豆仁田駅で降りて歩く。20分ほどすると、日大国際関係学部のグラウンドが見えてきた。

取材した日はメインの球場を少年野球に貸し出しており、女子硬式野球部はラグビー部が使う芝生のグラウンドで練習をしていた。北の方角には富士山。春の柔らかい陽光がそそぎ、立っているだけで気分がいい。

柳さんは学生相手に楽しそうにバッティングピッチャーを務めていた。26歳、現役の大学生と言っても通用する。

学生相手にバッティングピッチャーを務める柳監督(撮影・沢田啓太郎)

学生相手にバッティングピッチャーを務める柳監督(撮影・沢田啓太郎)

2019年9月、日本女子プロ野球リーグの入団テストに合格、小学生のころから憧れていたプロへの扉を自分で開けた。8人いた合格者のなかで、唯一の大卒だった。

「埼玉アストライア」への入団が決まったが、リーグの運営難もあり、全チームが京都に集められることになっていた。川崎市出身で、大学時代を三島で過ごした柳さんにとっては未知に近い土地。でも、憧れのプロの世界への期待の方が、不安をはるかに上回っていた。

しかし。

2020年4月7日。当時の安倍首相は東京、大阪、兵庫など7都府県に緊急事態宣言を行い、京都など近隣6府県を加えた13の都道府県を「特定警戒都道府県」と位置づけた。

悪夢のような日々の始まりだった。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。