【宇都宮ブレックス〈31〉】なぜ私たちはB-MEN'Sになったのか 男たちのそれぞれの事情(1)

4月7日ブレックスアリーナ宇都宮での秋田戦のオープニングに、「1日限定」の公認男性チアグループ「B-MEN’S」が登場しました。5歳から64歳までの男子33人が華麗な? ダンスをブレックスファンの前で披露。大きな声援と温かい拍手をもらいました。1年に1度、結成される「B-MEN’S」は今回で13代目。初代「B-MEN’S」からずっと踊り続けている人や、他県からの初参加者組もいました。男たちはなぜ、「B-MEN’S」になったのか。それぞれの事情をお聞きました。お二人ずつ、3回連続で公開します。

(多くの写真を株式会社栃木ブレックス様よりご提供いただきました。ありがとうございました!)

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【次回予定〈32〉なぜ私たちはB-MEN'Sになったのか 男たちのそれぞれの事情(2)】

4月7日の秋田戦前にブレックスアリーナ宇都宮でダンスを披露する吉田孔明さん=© TOCHIGI BREX INC.

4月7日の秋田戦前にブレックスアリーナ宇都宮でダンスを披露する吉田孔明さん=© TOCHIGI BREX INC.

好きになりすぎて横浜から移住

吉田孔明(よしだ・よしあき)さん(40)の場合

つい2年前までは、自分がブレックスアリーナで踊っているなんて想像すらしていませんでした。

出身地は横浜市です。バスケットボールは昔から好きでした。小学校5年から始めて、中高は地元のクラブチームでプレーしたり、ミニバスのコーチをやったりしました。

高校2年の時、田臥勇太選手からサインをもらったんです。

田臥選手がプレーしていたミニバスの矢部アローズは、私の住んでいた隣の地区のチームなんです。当時、アメリカに留学されていた田臥選手が一時帰国して、矢部アローズ時代の仲間と戸塚中というところでバスケをしているという情報を聞き付け、見に行った時にサインをもらいました。

吉田さんが高校生の時に田臥選手からもらったサイン(左)と社会人クラブチームでプレーする吉田さん(右)(吉田孔明さん提供)

吉田さんが高校生の時に田臥選手からもらったサイン(左)と社会人クラブチームでプレーする吉田さん(右)(吉田孔明さん提供)

今思えば、ブレックスとの縁があったんでしょうね。でもその時はまだブレックスというチームもありません。

私は大学を出て、地元で保育士として働きました。バスケをやるのは好きで、社会人になってもクラブチームなどでプレーを続けていましたが、観る方ではBリーグ誕生後も日本のバスケにはあまり関心なく、むしろNBAをよく観ていました。

運命が変わったのは2年前でした。大学生のころに横浜のバスケチームで知り合った友だちが、転職してブレックスで働き始め、試合を観に来ないかと誘われたんです。2022年3月5日の横浜ビー・コルセアーズ戦でした。

驚きました。日本のプロバスケがこんなに盛り上がっていて楽しいということを初めて知りました。特に心に残ったのが、ブレアリの演出とブレックスファンの皆さんの熱さでした。

その3週間後に、横浜国際プールでの横浜BCと千葉ジェッツ戦を観にいきました。試合は白熱しておもしろかったんですが、会場の雰囲気がブレアリとは違って…。ブレアリの一体感、そして宇都宮という地域の熱さにあらためて感動を覚えました。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。