【宇都宮ブレックス〈26〉小川敦也】恩師に聞く 洛南高校・吉田裕司先生編〈1〉

小川敦也選手(21)が筑波大学に在学しながらブレックスとプロ契約を結んだ。2月11日の長崎戦で、Bリーグのキャリアでは自己最多の9得点を挙げ、優勝を狙うチームの戦力であることを証明した。将来性豊かな大型ポイントガードは、これまでどんな成長曲線を描いてきたのだろうか。洛南高校時代の恩師、吉田裕司先生(65=同校バスケットボール部ヘッドコーチ)に話を聞いた。2回にわたってお届けします。(遠藤祐亮選手のシュート力を深掘りする連載は取材継続中です。あらためてお伝えします)

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【次回予定〈27〉恩師に聞く 洛南高校・吉田裕司先生編〈2〉】

◆吉田裕司(よしだ・ゆうじ) 1958年4月20日生まれ、京都府出身。京都・洛南高校から筑波大に進み、大学卒業後に母校に戻ってバスケットボール部のコーチに就任した。竹内公輔、譲次兄弟を擁して2002年にウインターカップ初制覇。比江島慎が入学した2006年から、史上2校目のウインターカップ3連覇を達成した。

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プロデビューとなった1月27日の佐賀戦でフィールドゴールを決めた小川選手

プロデビューとなった1月27日の佐賀戦でフィールドゴールを決めた小川選手

約束の場所、東京・飯田橋に向かう電車に乗る直前だった。

「出発便が45分遅れになりました。いかがいたしましょう?」

吉田裕司先生からのショートメッセージだった。

日本バスケットボール協会(JBA)に出向くため、吉田先生が上京されるタイミングで取材の時間をとっていただいた。貴重なお時間を無駄にはできない。

「羽田空港からご一緒してもよろしいでしょうか?」

私がそう返信すると、「了解です」と返ってきた。

空港の到着口で簡単にごあいさつをさせていただき、一緒にモノレールに乗る。

4人がけのボックス席に向かい合って座り、取材は始まった。

――今回、小川選手がプロ契約を決断される前にご相談はありましたか

吉田先生 「ブレックスに行くことになります。いいでしょうか?」と連絡がありました。本人の決意は固かったのでしょう。私も筑波大出身なので複雑な気持ちもありましたが、個人的には賛成しました。

彼が将来、日本代表やNBAを目指すならば、少しでも早く、自分より上のレベルでやることが大事。試合もそうですが、レベルも強度も高い練習を毎日繰り返すことで、バスケット選手としての能力が伸びていくのです。

大学での経験もプラス、と強調する一方、より上を目指すために下した教え子の決断を誇らしく感じているようだった。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。