【宇都宮ブレックス〈17〉渡邉裕規】「ナベタイム」の原点をたどって~敬愛する先輩からの伝言編~

渡邉裕規選手(35)が敬愛する人物がいる。青山学院大学の3学年上の先輩で、アルバルク東京の元主将、正中岳城氏(39)だ。2016年9月、Bリーグ最初の試合でのスピーチは、多くのファンに感動を与えた。大学、実業団、Bリーグで同じ時間を過ごしてきた正中氏は「ナベタイム」をどうみてきたのか。連載の最終回はバスケットボール界のレジェンドから渡邉選手への伝言です。

バスケットボール

◆正中岳城(しょうなか・たけき)1984年(昭59)9月15日生まれ、兵庫県加古川市出身。県立明石高校から青山学院大に進み、2007年にトヨタ自動車アルバルクに入団。2020年に現役を退くまで、アルバルク一筋でプレーした。背番号7はクラブ初の永久欠番。身長は180センチ。ポジションはポイントガード。

「先輩にやられたんじゃないですか!」

2019年5月、Bリーグ年間表彰式で優勝トロフィーとともに記念撮影するアルバルク東京の正中岳城選手。左はJBA三屋裕子会長

2019年5月、Bリーグ年間表彰式で優勝トロフィーとともに記念撮影するアルバルク東京の正中岳城選手。左はJBA三屋裕子会長

渡邉選手、いや、親しみを込めて、ナベと呼ばせてもらいます。

ナベと初めて会ったのは、私が大学4年の時。シュート力のあるポイントガードという位置付けで、彼が入学してきました。(当時の)青山学院大は少数精鋭で、1学年2、3人くらいしか入ってこない。毎年同じポジションの選手が入ってくるのではなくて、例えば今年はポイントガードとフォワード、次の年はシューティングガードとセンターというふうに選手が入ってくるんです。

人数の厚みがあるというわけではないので、1年生でも試合に出て、活躍してくれないとチームが成り立っていきません。先輩は同じポジションの後輩と向き合って、彼らを成長に導いていく必要があるし、後輩は、先輩が卒業したあとは自分がメインを担ってチームを勝たせなくてはいけません。代わりがいないということで、自覚と責任感をもってやらないといけない環境でした。

ナベとは練習からマッチアップしたことが多かったですね。白シャツと緑シャツに分かれて5対5とかすることが多かったので、そういうマッチアップなどを通じて、いろんなことを伝えたような気がします。

私もハードにプレーすることを心がけていましたので、先輩後輩関係なく、1つ1つの局面で勝負にこだわる姿勢を常に見せていました。

でもやっぱり、1年生が4年生とぶつかりあうのは大変なんですよ。体が全然違いますから。私も大学時代にトレーニングをして体を鍛えて、パワフルにタフにプレーすることをモットーにしていましたから、1年生の彼は苦労したと思います。

練習が終わったあと、彼がアイシングしていて、どうしたんやと聞いたら「先輩にやられたんじゃないですか!」なんてね(笑い)。痛かったとか、骨が折れたんじゃないかなとか、そういう話をしていましたね。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。