父の一周忌…大魔神が七夕にサヨナラ負け 一夜明け「1―0の9回裏」が再び/連載6

横浜DeNAベイスターズの25年…四半世紀ぶりの優勝を祈念する企画連載の第6弾は、大魔神こと佐々木主浩が、1998年に唯一喫した黒星です。父忠雄さんの一周忌となる7月7日、阪神矢野輝明にサヨナラ打を浴びました。絶対的ストッパーの敗戦はチームにとって大事件でしたが、結果的にみれば、奇跡的な大躍進への序章だったのです。

プロ野球

ポケットに数珠

横浜ベイスターズのクローザーを務める大魔神こと佐々木主浩にとって、七夕は特別な日でした。

前年1997年7月7日、父忠雄さんが54歳で永眠しました。6月11日にクモ膜下出血で倒れてから、佐々木は横浜と仙台を車で何往復もしながら看病していました。

この頃の佐々木は、いつも右手首に父から贈られた数珠を巻き、試合で登板するときはズボンのポケットに入れていました。父の墓前に優勝を報告することは、佐々木にとって大きな目標でした。

1989年12月、大洋入団会見で記念写真に納まる佐々木。左は母信子さん、右は父忠雄さん

1989年12月、大洋入団会見で記念写真に納まる佐々木。左は母信子さん、右は父忠雄さん

一周忌の夜、チームは大阪ドームで阪神との試合に臨みました。先発の三浦大輔が阪神打線を抑え込み、4回に佐伯貴弘のソロで奪った1点を守っていました。

1―0で迎えた9回裏、権藤博監督は当然のように「ピッチャー佐々木」をコールしました。三浦は8回まで125球を投げており、継投は当然の勝ちパターンでした。

矢野に…2年ぶり敗戦

佐々木は、先頭の桧山進次郎を一ゴロに打ち取るも、続く平塚克洋にフォークボールを二塁打にされました。

八木裕は三振に仕留めましたが、2死から和田豊に四球を与えてしまいます。フルカウントからのフォークが、ハーフスイングと認められませんでした。

2死一、二塁で、打席に迎えたのは東北福祉大の後輩、矢野輝明でした。

2球目、真ん中高めに入った147キロの直球をとらえられ、センターオーバーにされます。2人の走者がホームに戻り、サヨナラ負けとなりました。

佐々木(左)は矢野にサヨナラ打を浴びた

佐々木(左)は矢野にサヨナラ打を浴びた

どんな投手でも負けます。しかし、この頃の佐々木は、プロ野球界でもっとも負けない投手でした。

本文残り69% (2078文字/3028文字)

編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。