【豪快にみえて繊細】佐々木主浩は、なぜ一流のカーブを使わなかったのか/連載11

横浜DeNAベイスターズの25年…四半世紀ぶりの優勝を祈念する企画連載の第11弾は、「佐々木へつなげ」を合言葉に再スタートした8月です。7月は奇跡的な勝利が続きましたが、権藤博監督は本来の戦い方を思い出すようにクローザー佐々木主浩をマウンドに送り出します。生まれ故郷の仙台で開催された試合では、地元ファンが一斉に写真撮影をしたため、球場中がフラッシュの光で稲妻が走ったような現象も起こりました。勝ち続け、チームは変わっていきます。

プロ野球

13日ぶり「佐々木につなげ」

大魔神こと佐々木主浩は、8月になると急に忙しくなりました。7月はマシンガン打線が猛威をふるい、わずか5試合しか出番がありませんでした。

8月1日は、佐々木の故郷の仙台でヤクルト戦でした。6―2で迎えた8回表2死一、二塁。権藤博監督は13日ぶりに「ピッチャー佐々木」を球審に告げました。

10連勝した後、2位で追いかけてくる中日に連敗を喫し、ゲーム差は3まで縮まっていました。連勝の反動を懸念したのか、権藤監督は「2連戦でよかった。3連戦なら3連敗していた」と、珍しく弱気な言葉を残していたほどです。

投手出身の権藤監督は、いかに打線が強力であろうとも、常に「投手を中心としたディフェンスあってこその優勝争い」と話していました。

だからこそ、連敗からの再スタートにあたり、佐々木につなぐ形で勝ちたかったのです。チームが、戦っていく合言葉は「佐々木につなげ」でしたから。

ブルペンから登場する佐々木

ブルペンから登場する佐々木

先発の野村弘樹が98球ながら、8回先頭の真中満に安打を許すと、スパッと代えました。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。