9回2死、大魔神がまさかの危険球退場 その瞬間…ブルペンで立ち上がった男/連載3

横浜DeNAベイスターズの25年…四半世紀ぶりの優勝を祈念する企画連載の第3弾は、大魔神こと佐々木主浩投手の危険球退場です。1998年(平成10)4月10日の巨人戦(横浜スタジアム)。1点リードの9回、絶対的なストッパーがマウンドに上がるも、まさかの展開になりました。しかし、アクシデントを乗り越え、チームは強くなっていきます。

プロ野球

代打石井浩郎 フルカウントから

権藤博監督は、いつも口にしていました。

「オレの仕事は、審判にピッチャー佐々木と告げるところまで。あとはベンチに座って、試合を眺めていればいい」

クローザーの大魔神こと佐々木主浩は30歳で、ピッチャーとして円熟期を迎えていました。前年97年は3勝38セーブと、無敗のまま3年連続となる最優秀救援のタイトルを獲得しています。

チームメートから寄せられる絶大な信頼はもちろん、巨人長嶋茂雄監督も「ベイとの試合は8回までが勝負。最後は大魔神が出てきますから」と口にしていたほどでした。

権藤監督(右)は「オレの仕事は佐々木につなぐまで」と、大魔神に絶対の信頼を寄せていた

権藤監督(右)は「オレの仕事は佐々木につなぐまで」と、大魔神に絶対の信頼を寄せていた

1998年4月10日の巨人戦(横浜)。4―3と、1点リードして9回表を迎えました。権藤監督はゆっくりとベンチを出て、谷博球審に「ピッチャー佐々木」と告げ、ベンチにどっかりと腰を下ろしました。

ブルペンのリリーフ陣も、佐々木を拍手で送り出すと、全員がいすに座ってモニターを眺めていたそうです。あとは佐々木が3つのアウトを取るのを待つだけです。

佐々木は、先頭の高橋由伸を三邪飛、続く元木大介を三振に打ち取りました。2死となり、代打の石井浩郎を打席に迎えます。

カウント3―2からの6球目、142キロの内角速球がすっぽ抜け、石井の左肩に当たり、ヘルメットをかすめました。

9回裏2死、佐々木(左)は巨人石井の左肩に死球を与えた

9回裏2死、佐々木(左)は巨人石井の左肩に死球を与えた

すると、谷球審は頭部死球による危険球退場を宣告したのです。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。