開幕3連勝を呼んだ権藤博監督の言葉 1―1の8回、マウンドの野村弘樹に…/連載2

横浜DeNAベイスターズの25年…四半世紀ぶりの優勝を祈念する企画連載の第2弾は、開幕第3戦にスポットを当てます。1998年(平10)4月5日の阪神戦(横浜スタジアム)。同点の8回に先発の野村弘樹投手がピンチを招くと、権藤博監督がマウンドへ走りました。そこで口にした言葉は、監督自身にとって大きな意味がありました。

プロ野球

◆飯島智則(いいじま・とものり)1969年(昭44)生まれ。横浜出身。93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。

59歳の新人監督が挙げた「忘れられない試合」

この年の秋に優勝を決めたとき、私は権藤博監督に単独インタビューをしてシーズンを振り返ってもらいました。

そこで権藤監督が「忘れられない試合」に挙げたのは、開幕から3試合目の阪神戦(横浜)でした。

1998年4月5日。試合は1―1の同点で終盤を迎えました。

8回表の守り、先発の野村弘樹が1死一、二塁のピンチを招くと、権藤監督はマウンドに走っていきました。監督自ら、投手の元へ足を運ぶのが権藤監督のスタイルでした。

試合終盤の勝負どころであり、野村も「交代は仕方がないと思った」といいます。しかし、権藤監督の口から出たのは正反対の言葉でした。

1998年4月5日。開幕3戦目の阪神戦、権藤監督(右)は8回のピンチにマウンドに走り、野村(中央)に声をかけた

1998年4月5日。開幕3戦目の阪神戦、権藤監督(右)は8回のピンチにマウンドに走り、野村(中央)に声をかけた

「この試合、お前にあげるよ」

続投となった野村は後続を抑え、ピンチを脱しました。

なぜ、この言葉を口にしたのか? 権藤監督はのちにこう振り返っています。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。