前年までの同僚・盛田幸妃に脳腫瘍が見つかる…2015年に死去/連載13

横浜DeNAベイスターズの25年…四半世紀ぶりの優勝を祈念する企画連載の第13弾は、前年1997年までベイスターズに所属していた盛田幸妃についてです。1998年からトレードで近鉄へ移った盛田は、ベイスターズが38年ぶりの優勝へ邁進する9月、脳に腫瘍が見つかり手術を受けました。2001年に復活して近鉄の優勝にも貢献するなど活躍しましたが、引退後の2015年10月16日、45歳の若さで死去しました。1998年のV戦士ではありませんが、当時を思い出すとき、必ず盛田の顔が浮かびます。

プロ野球

98年から近鉄に在籍

今回はチームの話題から離れることをお許しください。

記事を書くため当時の新聞を眺めていて、9月2日付で手が止まってしまいました。ベイスターズが60勝42敗1分、2位中日に2ゲーム差の首位を走っている時です。

5面のメイン記事に「盛田頭部に腫瘍 近日中に手術、今季絶望」という見出しがついています。

1998年9月2日付の日刊スポーツ

1998年9月2日付の日刊スポーツ

近鉄の盛田幸妃投手(28)が、今季絶望となった。左頭頂部の髄膜腫のため近日中に手術を行うことが1日、球団から発表された。同投手は8月14日に出場選手登録を抹消され、体調不良の原因を精密検査した結果、同25日に腫瘍(しゅよう=検査では良性)が見つかった。復帰の見通しは立っていないが、術後の経過が順調なら来年2月のキャンプから合流できるという。

盛田は前年までベイスターズに在籍しており、この年から中根仁とのトレードで近鉄に移籍していました。

北海道の函館大有斗高から1987年(昭62)ドラフト1位で大洋ホエールズに入団しました。同期にドラフト3位の野村弘樹投手(PL学園)、ドラフト外で進藤達哉内野手(高岡商)と、チームを支える主力選手がいます。

1992年9月、広島から勝利を挙げ江尻監督(左)と握手

1992年9月、広島から勝利を挙げ江尻監督(左)と握手

「よけられるでしょ」

右打者の胸元をつくシュートが持ち味で、巨人落合博満にも臆することなく内角を攻めていきました。危険球と見なされ退場処分を受けることもありましたが、盛田は「自分の投球を変えるつもりはありません」と言い、内角攻めに怒る落合に対して「よけられるでしょ」と言い放ったこともありました。

野村や、ともに「ダブルストッパー」を務めた佐々木主浩とはプライベートでも親しく、豪快に酒を酌み交わす間柄だったといいます。ファンはもちろん、チームメートからも愛される存在でした。

ベイスターズ時代の投球

ベイスターズ時代の投球

この日の記事に詳細は書かれていませんが、のちに聞いたところでは、たびたび足がけいれんするので検査したところ、ゴルフボールよりも大きな腫瘍が見つかったそうです。

このニュース、当然ながらベイスターズでも話題になりました。

「盛田なら大丈夫だ」

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。