【阪神立石正広】運命の球技が性格を変えた バレー一家で育った少年 立石伝説〈2〉

阪神は昨秋のドラフトで大学日本代表4番、創価大・立石正広内野手(22=高川学園)を1位指名しました。日刊スポーツでは立石選手の幼少期からプロ入りまでの歩みを「立石伝説」と題し、連載でお届けします。第2回はバレーボール一家で育ち、野球との出会いで性格が変わった幼少期に迫ります。

プロ野球

◆立石正広(たていし・まさひろ)2003年(平15)11月1日生まれ、山口県防府市出身。華浦小1年時から華浦スポーツ少年団野球部に入る。高川学園シニアを経て高川学園では3年夏に甲子園出場し1本塁打。創価大では1年春からベンチ入りし、秋からレギュラー。2年春に東京新大学リーグ3冠王、今春は本塁打と打点の2冠。大学日本代表では3年から4番。母郁代さんが92年バルセロナ五輪女子日本代表などバレーボール一家。180センチ、87キロ。右投げ右打ち。

子どもの頃に高川学園の制服を着て笑顔を見せる(本人提供)

子どもの頃に高川学園の制服を着て笑顔を見せる(本人提供)

小さい頃から家でも外でも体を動かす環境

立石は小さい頃から気づけば家でも外でも体を動かす環境にあった。それでも野球と出会うまでは、みんなで走るときも後ろの方で母を見ながらニコニコしているような子どもだった。立石は「自分からスポーツをしようとする感じじゃなかった。野球を始めてからいろいろ変わったのかなと思います」と振り返る。運命の球技をプレーするようになってから芽生えた競争心。運動会でも照れずに真剣に走るようになった。

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2001年(平13)愛知県犬山市生まれ。2歳の頃から大阪府大阪狭山市で育つ。中高は管弦楽部に所属。神戸大から24年入社。
24年5月から主にアマチュア野球を取材、25年1月から阪神担当。26年はヤクルト担当。
大学時代はクイズ研究会などに所属。趣味はスポーツ観戦と坂道アイドルやロックバンドのコンサート、フェスに行くこと。幸せな瞬間は温泉地に行って日本酒を飲んでいるとき。