二岡智宏監督の組織改革術「お世辞にも強いとはいえないチーム」で都市対抗目指す

昨季まで巨人のヘッドコーチ兼チーフ打撃コーチを務めた二岡智宏氏(50)が監督に就任した社会人野球ジェイプロジェクトは、5、6月に行われた第97回都市対抗野球・東海地区2次予選で3度の代表決定戦に進みながら、本大会出場を逃しました。専用球場はなく、練習時間は3時間に限られる厳しい環境。今年1月の就任時、「お世辞にも強いとは言えないチーム」と現在地を示した新指揮官は2つの改革を図り、東京ドームを目指しました。

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★二岡監督が語った主な内容

  • 「よく頑張った〝けど〟」3度の代表決定戦で感じた課題
  • 練習時間3時間で挑んだ2つの組織改革とは
  • 若き主将・神農が体現した「腕がちぎれても勝ちたい」魂

◆二岡智宏(におか・ともひろ)1976年(昭51)4月29日、広島県生まれ。広陵から近大を経て98年ドラフト2位で巨人に入団。02年には日本シリーズでMVPを獲得。06年4月30日の中日戦では史上2人目の1試合2満塁本塁打を記録。09年に日本ハム移籍。通算1457試合に出場し、1314安打、173本塁打、622打点、打率2割8分2厘。引退後は巨人コーチ、2軍監督や日本海L・富山の監督を歴任。右投げ右打ち。

6月 ベンチで戦況を見つめるジェイプロジェクト二岡智宏督(左から2人目)

6月 ベンチで戦況を見つめるジェイプロジェクト二岡智宏督(左から2人目)

「よく頑張った〝けど〟」

社会人野球の夢の舞台は〝2大大会〟と呼ばれる夏の都市対抗野球、秋の日本選手権を指す。東海6枠の全国切符をかけた都市対抗予選で、ジェイプロジェクトは7試合を戦った。09年創部。過去2度の本大会出場があるとはいえ、ここ5年は全国舞台とは無縁で、3度の代表決定戦まで進んだ戦いぶりは健闘と評された。だが、二岡監督の思いは違う。「『よく頑張ったね』と言われるかもしれない。〝けど〟なんだよね。よく頑張った〝けど〟。(就任時に)『勝つ楽しさ、勝つ喜びを味わってほしい』と選手に伝えた。勝った時のうれしそうな顔、みんなが喜び合う姿はあったけど、あと1つ勝ち切れなかった。まだまだ課題はある」。予選敗退後の7月上旬、指揮官は祈るような思いで過ごした日々を静かに回想した。「試合を通じて勝ちたい思いと、『このチャンスを生かしてほしい』思いでした」。

常勝軍団を渡り歩いた指揮官の信念

プロ、アマ通じて常勝軍団を突っ走ってきた。二岡監督は近大でアマ5冠を達成。巨人、日本ハムでプレーした15年間のプロ野球生活では11度のAクラス入り、6度のリーグ優勝を果たした。2000年には巨人の優勝決定サヨナラホームランも放っている。16年から指導者として巨人の打撃コーチ、ヘッドコーチや2、3軍の監督、また日本海L・富山でも監督を経験。「先頭に立つより、チームをいい方向に導いてあげたい思いが強い。巨人では朝から選手の表情を見るのを大事にしていました」。現ブルージェイズの岡本和真など、選手に寄り添う育成をモットーに常勝軍団で腕を磨いてきた。

00年9月 優勝を決めるサヨナラ号本塁打を放ち、打った瞬間ガッツポーズする巨人二岡智宏

00年9月 優勝を決めるサヨナラ号本塁打を放ち、打った瞬間ガッツポーズする巨人二岡智宏

24年7月 岡本和真(右)と談笑する巨人二岡智宏コーチ

24年7月 岡本和真(右)と談笑する巨人二岡智宏コーチ

3時間を濃くする 2つの組織改革

1月のジェイプロジェクト練習初日。「お世辞にも強いとは言えないチーム」と本音で現在地を示し、2つの組織改革を掲げた。

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1999年6月生まれ。名古屋市出身。竜党の家族のもとで育ち、大学時代は中日主催試合のボールガールのアルバイト(ベースボールメイツ)を務める。
大学卒業後は1年間、スポーツキャスター・ディレクターとしてテレビ局に勤務。23年に日刊スポーツに入社し、プロ、アマ問わず野球現場を取材。
至福のひとときは、休日の朝にアサイーボウルを作る瞬間。宝塚歌劇やハロプロ、淡路島が心の癒やし。