【山下真瑚〈下〉】原因不明の体調不良、自己嫌悪…輝き取り戻した「根拠のない自信」

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第47弾は山下真瑚(22=中京大)が登場しています。中3で出場した18年の世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。高1で全日本選手権6位に輝くなど華々しい結果を残し、ユニークなキャラクターでも人気を博してきました。その一方で、人知れずネガティブな感情に苦しめられた時期も。これまでのスケート人生を振り返りつつ、将来への希望を語りました。

3回連載の下編では、苦難を乗り越えた後の全日本選手権での活躍、仲間や自立がもたらした心の変化、ミラノ・コルティナ五輪シーズンに向けた新たな決意に迫ります。(敬称略)

フィギュア

◆山下真瑚(やました・まこ)2002年(平14)12月31日、名古屋市生まれ。荒川静香の代名詞「イナバウアー」に憧れ、7歳で競技を開始。中2の16年に初めて強化指定選手となると、17年の全日本ジュニア選手権で銀メダルを獲得。同年に初めて全日本選手権に出場し10位。18年世界ジュニア選手権で3位に入り、シニアデビューした同年のスケートカナダで銀メダル、全日本選手権は6位に輝いた。その後はけがに苦しめられながらも、4回転サルコーに挑戦するなど努力を重ね、大学4年の24年に全日本選手権で6年ぶりに6位と復調した。趣味は今年8月で15歳となる愛犬「天子(てんこ)」と遊ぶこと。血液型O。151センチ。

鮮烈なシニアデビュー

スケートをしていると、山下には時折、理由もなく「今日はできる」という感覚が湧き上げる瞬間がある。「ゾーン」とも言い換えることのできるような、直感的な確信。2018年3月、中学3年生の時にブルガリアで行われた世界ジュニア選手権で覚えたのが、まさにそれだった。

ショートプログラム(SP)3位で迎えた、最終日のフリー。リンクに立つと、自然と感覚が研ぎ澄まされていくのがわかった。

「リンクサイドの先生の声が一段と聞こえたし、応援してくれるチームジャパンのみんなと目線が合ったのもわかりました」

今も大好きなプログラム「蝶々夫人」が鳴りやむ最後の1秒まで、そんなささいなことにさえ気付けるほどに意識は澄み渡っていた。

冒頭の3回転ルッツ-3回転トーループ-2回転トーループのコンビネーションを完璧に決めると、全7本のジャンプを成功。ステップシークエンスも、スピンも、全て最高レベルの4を獲得し、当時の自己ベストを大幅に更新する合計195・17点をマーク。ジュニアの集大成となる舞台で、銅メダルを手に入れた。

「できる自信しかなかったんです。根拠のない自信。誰にも、絶対に試合で跳べるという予測は付かないじゃないですか。でも、なんか『今日はできるわ』っていう試合がたまにあるんですよね」

西日本学生選手権 女子フリーで演技する山下真瑚(2024年10月20日撮影)

西日本学生選手権 女子フリーで演技する山下真瑚(2024年10月20日撮影)

ある大会のフリーの演技中、SPの時にも来ていた親子が、この日は別の席に座っていることに気付いたこともある。

この集中状態を生み出す「根拠のない自信」は、決して偶然や気まぐれからは生まれない。それは、日々の練習に裏打ちされた、積み重ねた努力の結晶だった。

ジュニアに上がった中学2年生の頃から、練習で妥協を許さなかった。曲をかけた通し練習を、SP、フリーともに3回ずつノーミスで滑り切るまで繰り返した。

「その日中に終わらなかったら、次の日に持ち越しでした」

だからこそ、鮮烈なシニアデビューがあった。

中京大中京高に進学した同年。初めてのグランプリ(GP)シリーズ・スケートカナダでいきなり銀メダルを獲得。年末の2度目の全日本選手権は、初出場した前年の10位を上回る6位になれた。

誰もが、その前途は明るいと信じていた。

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スポーツ

勝部晃多Kota Katsube

Shimane

島根県松江市生まれ。2021年4月入社。高校野球の神奈川担当などを経て、同年10月からスポーツ部に配属。バトル班として新日本プロレスやRIZINなどを担当し、故アントニオ猪木さんへの単独インタビューや武藤敬司氏の引退試合、那須川天心―武尊などを取材した。 23年2月から五輪班に移り、夏季競技はバレーボールを中心に担当。同年秋のW杯や24年夏のVNLなど。冬季競技はフィギュアスケートをメインに務め、全日本選手権は2年連続で取材中。X(旧ツイッター)のアカウントは「@kotakatsube」。