“いくこう”の決意…25年1月6日、約10分の会話で誓ったこと/単独インタビュー

フィギュアスケートのアイスダンスで愛称「いくこう」こと櫛田育良(17=木下アカデミー)島田高志郎(24=木下グループ)組が8月8日、拠点の木下アカデミー京都アイスアリーナで初めて練習を公開し、単独インタビューに応じました。

今年1月にカップルを結成。櫛田はシングルとの両立を図っており、島田はシングルから転向しました。キャシー・リード・コーチの振り付けのもと、リズムダンス(RD)は「Got The Groove/Show Me Something Special」、フリーダンス(FD)は「ムーンライト・セレナーデ/サブリナ」を滑ります。9月23日のクリス・リード杯(長野・風越公園アイスアリーナ)で初の競技会に臨み、今季目標の4大陸選手権(26年1月21~25日、中国、北京)出場へと突き進んでいきます。

インタビューでは、結成に至るまでの経緯、初めて滑った時の感触、「かなだい」として日本アイスダンス界に新たな風を吹き込んだ高橋大輔さんへの思いなどを語りました。島田の24歳の誕生日も記念して、今日9月11日にお届けします。

フィギュア




◆島田高志郎(しまだ・こうしろう)2001年(平13)9月11日、愛媛県生まれ。15歳からスイス・シャンペリーが拠点。岡山・就実高を経て、早大人間科学部通信教育課程。22年全日本選手権は宇野昌磨に次ぐ2位。GPシリーズは19―20年から参戦し、最高成績は24年フランス杯の2位。趣味は料理、美しい国や景色を見ること。


◆櫛田育良(くしだ・いくら)2007年(平19)10月29日、愛知県生まれ。20年に京都・宇治市に誕生した木下アカデミーへと拠点を移す。全日本ジュニア選手権は23年の2位が最高。24年世界ジュニア選手権5位。愛知・中京大中京高(通信制)3年。趣味はダンス。


8月8日、公開練習後に会見を行った櫛田育良(右)、島田高志郎組(撮影・清水貴仁)

8月8日、公開練習後に会見を行った櫛田育良(右)、島田高志郎組(撮影・清水貴仁)


◇ ◇ ◇


2人は横並びにいすに腰を下ろした。

シングルでは1人で取材に応じるが、カップル競技は隣にパートナーがいる場合がほとんどだ。

この日は櫛田と島田にとって、2人そろって取材を受けるのが初めてだった。

インタビュー前にその話題になると、島田は「1人の時よりも緊張しないですね」と打ち明けた。シングルの時よりもラフに話せるという。

櫛田も被せるように「私も1人の時よりしないかも。2人のほうが言葉が出てきやすいです」とほほ笑んだ。

息の合ったやりとりを重ねながら、取材は始まった。


8月29日、「フレンズ オン アイス2025」公開リハーサルで演技を行う櫛田育良(左)と島田高志(撮影・山本朝陽)

8月29日、「フレンズ オン アイス2025」公開リハーサルで演技を行う櫛田育良(左)と島田高志(撮影・山本朝陽)


24年4月に“初滑り" 濱田コーチの提案が「ありがたかった」


―愛称は「いくこう」に決まりました。お2人でも「いいな」という思いがあって決まりましたか

島田そうですね。話し合って決まったというより、流れで決まったんですけど(笑い)。

櫛田キャシー(・リード)先生が最初からずっと「いくこう」と呼んでいて。

島田曲かけの時も呼んでもらっていて、だんだん刷り込まれていった感じがします(笑い)。


―一緒に練習し始めたころから「いくこう」と呼ばれていましたか

島田最初に呼ばれたのが「いくこう」でした。そうなんだぁと(笑い)。

櫛田はい(笑い)。


―流れの中で決まっていったんですね。ではカップルを組み始めたころについて尋ねます。最初に組み始めたのはいつですか

櫛田去年のブルーム(・オン・アイス)です。

島田その時にちょっとやったんだったかな?

櫛田ほんとに一瞬でしたけど。

島田めっちゃ一瞬だったよね。ほぼ記憶にないくらい。



―24年4月のブルーム・オン・アイスの時に一瞬組んだのは、どのような流れだったんですか

島田朝の練習の時に濱田(美栄)先生に呼ばれて。

櫛田「ちょっと滑ってみて!」って。

島田「やってみたらいいんじゃない?」と(笑い)。それで「分かりました」と。でもそう言っていただいて、ありがたかったですね。そこで一緒に滑って。はじめはそれだけだったんですけど、そこから(24年)8月にトライアウトをしたという感じです。

櫛田あんまり覚えていない(笑い)。

島田やんわりと進んでいった感じです。


―トライアウトは島田選手から「お願いします」と誘ったのでしょうか


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岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。