【宇都宮ブレックス〈1〉】超進学校で八村との縁 異色の新戦力、村岸航を深掘り

宇都宮ブレックスの気になる話題を広く深く追いかけます!

ブレックスのゲームは楽しい。昨季ブレックスアリーナや日環アリーナに通って、今さらながら確信しました。選手やクラブのことをもっともっと知りたいし、取材で得たものを、ブレックスを愛する方々に伝えていきたい。週1回のペースで、ブレックスにまつわる様々な話題をお届けしていきます。スタートは練習生から昇格した村岸航選手(26)。運命にたぐり寄せられ、現在に至った軌跡を3回にわたってお伝えします。

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バスケットボール

今年5月に選手契約、196センチのSF

9月10日、京都とのプレシーズンゲームで比江島(右)とプレーする村岸。左は四家

9月10日、京都とのプレシーズンゲームで比江島(右)とプレーする村岸。左は四家

村岸航(むらきし・わたる)

1997年7月28日生まれ、埼玉県出身。県立浦和高-筑波大-アイシン・エィ・ダブリュ アレイオンズ安城-アイシン アレイオンズを経て、2022年ブレックス練習生。今年5月、ブレックスと選手契約をかわした。ポジションはスモールフォワード。196センチ、102キロ。

悩んだ高校進学「安定選び・・・」県立浦和へ

15歳の村岸は悩んでいた。名だたる強豪高校からの誘いをどうとらえればいいのか、想像もしていなかっただけに難しかった。

全国大会常連校、幾人の名選手を輩出してきた高校の名前が並び、バスケットで人生を切り開こうと思っていたならば、どこを選ぶかの問題だっただろう。そんな中で、村岸が最終的に選択したのは、埼玉県一の進学校、県立浦和高校受験だった。

村岸 親の教育方針として、しっかり勉強して、良い大学に入って、良い会社に就職して、という雰囲気がありました。埼玉県の公立高校で一番は県立浦和高校だったので、目指すべきはそこかなと思いながら勉強をしていましたし。

お誘いをいただいて、相当迷ったのは事実です。あまり強くない中学校の選手が、バスケの強豪校に誘ってもらえるなんて、そうないことだと思いますから。ただ、バスケで進学して、自分の思うような人生が歩めるのかなという思いが、中学生ながらにあって。高校の先にある大学、就職先という未来を見据え、安定した道を選びました。

宇都宮ブレックス村岸航のミニバス時代(本人提供)

宇都宮ブレックス村岸航のミニバス時代(本人提供)

中2で188センチ、漂う「未完の大器」感

村岸がバスケットと出会ったのは小学校1年の時。下校中にたまたま、校内の体育館で行われていたミニバスをみかけた。6年生に飛び抜けてうまい子がいて、その子の動きに魅了された。

村岸 本当にたまたま目に入って、この人、格好いいなって。のちに京北高校から日大に行かれた方で、飛び抜けてうまかったです。仲が良かった友達に「バスケット、一緒にやってみよう」って言ったら、いいねって言ってくれて、そこがきっかけですね。

男4人兄弟の上から2番目。兄姉か親の影響を受けてバスケを始めるという例は多いが、村岸の場合は「一目ぼれ」だった。母親が中学校までバスケットをやっていたこともあり、親からはすぐに承諾をもらって、ミニバスを始めた。ちなみにこの時「スラムダンクはまだ知らなかった」という。

本格的に頭角を現すのは、中学校に入ってからだった。小学校6年の時、165センチだった身長は、中学2年の時には188センチに伸びていた。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。