深谷知広(33=静岡)が復活優勝! 渡辺雄太の番手を回り、単騎でカマした新山響平の3番手から、最終2センターで外を踏み上げ、直線で一気に突き抜けた。

ビッグレースは14年松戸G2サマーナイトフェスティバル以来、9年ぶりで、愛知から静岡に移籍してからは初めて。賞金ランキングは8位に浮上し、17年平塚以来、6年ぶりのKEIRINグランプリ(GP、12月30日・立川)出場も見えてきた。


共同通信社杯を制し、胴上げされる深谷知広(撮影・鈴木正人)
共同通信社杯を制し、胴上げされる深谷知広(撮影・鈴木正人)

名実ともに「南関東」の深谷知広になった。21年の静岡移籍後、初めてビッグレースを制した。先頭でゴールすると渡辺雄太とハイタッチ。そして、ファンの声援には両手ガッツポーズで応えた。ビッグ9年ぶりの優勝で「そんなにたっていたのかと…。すごくうれしい気持ちと、まだ受け止められない気持ちです」と喜びを口にした。


共同通信社杯・決勝のゴールを1着で駆け抜ける深谷知広(左)(撮影・鈴木正人)
共同通信社杯・決勝のゴールを1着で駆け抜ける深谷知広(左)(撮影・鈴木正人)

共同通信社杯を制し、ウイニングランでガッツポーズする深谷知広(撮影・鈴木正人)
共同通信社杯を制し、ウイニングランでガッツポーズする深谷知広(撮影・鈴木正人)

共同通信社杯を制し、ガッツポーズする深谷知広(撮影・鈴木正人)
共同通信社杯を制し、ガッツポーズする深谷知広(撮影・鈴木正人)

練習仲間の渡辺とは、あうんの呼吸だった。「何度も連係していて(走り方、力などが)分かっている。考えが一致した」。初手の位置、中四国勢が押さえてきた後の対処、仕掛けのタイミングなど、寸分の迷いも狂いもなかった。新山響平を単騎で行かせ、まくってきた嘉永泰斗を最終バックでブロックして渡辺の位置(番手)を確保と、その動きは流れるよう。渡辺は「(深谷が)静岡に来てからあまり優勝がなかったので良かった。胴上げ? 重かったです(笑い)」と復活したタイトルウイナーの重みを感じていた。


共同通信社杯を制し、ガッツポーズする深谷知広(撮影・鈴木正人)
共同通信社杯を制し、ガッツポーズする深谷知広(撮影・鈴木正人)

共同通信社杯を制し、表彰式で賞金ボードを掲げる深谷知広(撮影・鈴木正人)
共同通信社杯を制し、表彰式で賞金ボードを掲げる深谷知広(撮影・鈴木正人)

最初に練習に誘った岡村潤が言う。「深谷がナショナルチームの練習を持ち込んでくれたことが大きい。1本で出し切る、要するにトップスピードを上げる練習ですね。最初は皆『?』という感じだったけど、疑問には全て理論で答えてくれた。今は雄太たち若い選手だけでなく、ベテランの萩原(孝之)さんや僕まで力が付いた」と感謝した。


共同通信社杯を制し、笑顔を見せる深谷知広(中央)(撮影・鈴木正人)
共同通信社杯を制し、笑顔を見せる深谷知広(中央)(撮影・鈴木正人)

この優勝で6年ぶりのGP出場も視野に入ってきた。「年下も増えて責任感も出てきた。来月のG1(弥彦・寛仁親王牌)に向け、僕らはこれからきつい練習の期間に入る。上位で戦える力を付けたい」。これからも妥協することなく、頂点を目指す。【栗田文人】


共同通信社杯を制し、優勝カップを手にする深谷知広(撮影・鈴木正人)
共同通信社杯を制し、優勝カップを手にする深谷知広(撮影・鈴木正人)

◆深谷知広(ふかや・ともひろ)1990年(平2)1月3日、愛知県安城市生まれ。中学から自転車競技を始め、競輪学校(現養成所)96期生として09年7月豊橋でデビュー。10年に立川G2ヤンググランプリを制し、11年6月には前橋高松宮記念杯でデビュー最速となる684日でG1制覇。12年2月高知G2東西王座戦、14年弥彦G1寛仁親王牌、14年8月松戸G2サマーナイトフェスティバル優勝。通算成績は922戦357勝。通算獲得賞金は8億2047万6466円。169センチ、79キロ、血液型B。