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サクラチヨノオー大往生「立派な最期」

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88年、日本ダービーで優勝したサクラチヨノオーと小島太騎手
88年、日本ダービーで優勝したサクラチヨノオーと小島太騎手

 88年のダービー馬サクラチヨノオー(牡)が7日早朝、老衰のため繋養(けいよう)されていた北海道新ひだか町の新和牧場で死んでいたことが10日、分かった。27歳。

 美浦の境勝太郎厩舎所属で、87年8月に函館でデビュー。同年朝日杯3歳Sを勝ち、翌年ダービーで死闘を制した。メジロアルダンに1度前に出られながら、根性で差し返したゴール前は語り草となっている。ダービー後に右前脚浅屈腱(けん)炎を発症し、1年後の安田記念で復帰も16着に大敗。続く宝塚記念も16着に敗れ、屈腱炎が再発し引退した。父マルゼンスキー、母サクラセダン。戦績は10戦すべて小島太騎手でG1・2勝のほか88年弥生賞(G2)など5勝、獲得賞金2億890万円。種牡馬としては97年愛知杯を勝ったサクラエキスパートなどを出した。種牡馬を引退した後は、去勢されて故郷の新和牧場で余生を送っていた。

 少しやせてきた様子はあったが、直前までは元気だった。6日朝に立てなくなり、午後は食欲も落ちた。獣医師の治療を受け、床ずれを防ぐため牧場スタッフが1時間置きに寝返りをさせたが、そのまま静かに眠り、7日朝に呼吸が止まった。同牧場の谷岡毅代表は「大往生でした。老衰とはこういうもの、という感じの穏やかな最期。餌をくれる人以外にはきつい馬でしたが、最後は好きにしてくれ、という感じで静かにしていた。立派な最期でした」と語った。

 ◆主戦を務めた小島太師(64) 騎手時代に乗った馬の中では最高と言ってもいいぐらいのパートナーだった。私自身2回目のダービーを取らせてもらったことはもちろんだが、朝日杯はうちのおやじが亡くなった週で、葬式を出してから競馬に行って勝った思い出もある。騎手を辞めるまでいい競馬ができたのもチヨノオーのおかげ。ありがとうと言いたいです。

 [2012年1月11日9時5分 紙面から]




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