試合終了直後の勝利者インタビュー、法政大の長山一也監督(36)は「我慢するところを我慢して、粘り強く戦ってくれた」。テーマとした「人間力」でつかんだ平成最後の学生日本一に、感無量の面持ちだった。

法大対駒大 42年ぶりの優勝で、笑顔でインタビューに答える法大の長山監督(撮影・浅見桂子)
法大対駒大 42年ぶりの優勝で、笑顔でインタビューに答える法大の長山監督(撮影・浅見桂子)

■「人間力」をテーマに

12月22日、埼玉・浦和駒場サッカー場で行われた全日本大学サッカー選手権(インカレ)決勝、法政大が駒沢大を1-0で下し、42年ぶり3度目の栄冠に輝いた。ボールを大事にする伝統の法政スタイルに、迫力あるカウンターを兼ね備えた攻撃力のチーム。昨年は夏の総理大臣杯で35年ぶりの優勝を遂げたが、冬のインカレは決勝で流通経済大に敗れて準優勝だった。王座奪還へ捲土(けんど)重来を期した今季、また1つ大きなタイトルを手にした。

古豪復活、そのチーム再建の立役者となっているのが長山監督だ。法政大を卒業後、地域リーグの静岡FC、JFLのアローズ北陸を経てJ2のカターレ富山に所属。身長165センチと小柄ながら攻撃的MFとしてJ2リーグで67試合に出場した人物である。2014年に就任するや1年目で関東2部優勝で1部へと昇格させ、4年目にして総理大臣杯、そして5年目の今季はインカレを制した。その指導を支える「人間力」について聞いた。

「僕も選手をやっていましたが、その中で生き残っていく選手、結果を出していく選手って謙虚だなと思いました。いくら力があっても、物事をしっかり捉えて努力することであったり、仲間を大事にすることであったり、そういうところがしっかりしている人はプレーも含めて崩れない。徳を積んでいると自分に返ってくる。そういうところは選手にも意識付けていました。指導者になってまずは小さい子供たちを教えていたんですけど、伸びる子ってどういう子なんだろう?って。やはり能力ある子もいいですけど、その先に行くとなれば、いろんなことをしっかりと理解して、物事を捉えて、行動に移すということが大事なんだなと思いました」

法大対駒大 試合中、笑顔で指示を出す法大の長山監督(中央)(撮影・浅見桂子)
法大対駒大 試合中、笑顔で指示を出す法大の長山監督(中央)(撮影・浅見桂子)

■私生活がピッチに表れる

富山に家族を残しての単身赴任。寮に住み込んだ当初、学生の私生活が目が留まった。雑然とした共有スペースなどを整理整頓することから始めた。

「チームスポーツなので、チームのために何かしている子とか、行動を起こしている時に褒めます。ゴミとか拾って清潔にするとか、そういった細かいことなんですけど。もちろんいいプレーしている子は褒めますが、そっち(私生活面)の方を評価している。物事の考え方の方がしっかりしてくれば(プレーも)伸びてくる。トレーニングは1日2時間しかないですけど、自分の頭には24時間(をどう過ごすのか)がある。ピッチ外のところでいろんなことを学んでおかないと、(ピッチで)対処できないことってあるので」

シンプルに言えば、考える力を養うことである。かつて日本代表監督を務めたオシム氏は「サッカーは人生の縮図だ」と説いた。ピッチで起こるさまざまな困難にどう対処するのか、日頃からの気付きや行動、ひいては人間性が問われてくるというものだ。日々の積み重ねこそが人生である。ならば「サッカーは私生活の縮図」とも言える。

そんな指導の一端がピッチでも如実に見えた。

決勝の前半13分、法政大は一瞬のスキをつかれ、駒沢大FWに抜け出された。GKと1対1になる決定的なピンチ。だが、判断良くカバリングに戻った主将のDF黒崎隼人(4年=栃木SCユース)が身をていしてシュートコースをつぶし、失点を防いだ。主導権を握る上で大事になる先取点。機転を利かせたファインプレーだった。この試合のターニングポイントと言っても過言でない場面である。

その黒崎主将は、長山監督の指導についてこう語った。

「サッカー面のアドバイスはもちろん、重点的なのは私生活面です。私生活のスキがサッカーのスキにつながる。学生なんでフリーな時間があるので、そういう時こそサッカーのためにということを重点的に言ってくれた。それは選手からしても意識してやってきた部分です」

大学生ともなれば、技術的にも肉体的にも完成期にある。だからこそ、メンタルや考え方という内面の幅が広がれば、高いレベルで安定したプレーができる。長山流指導の真髄であろう。

法大対駒大 42年ぶりの優勝で、涙で抱擁する法大の選手たち(撮影・浅見桂子)
法大対駒大 42年ぶりの優勝で、涙で抱擁する法大の選手たち(撮影・浅見桂子)

■山梨で過ごした高校時代

指導者として大きな成果を上げた長山監督だが、その素養は高校時代からあった。生まれは鹿児島、日本代表最多152試合のキャップ数を誇る遠藤保仁と同じ桜島の出身(桜島中)である。親元から遠く離れ、山梨・帝京三高に進んだ。長野県に程近く冬は雪に覆われる標高1000メートル近い高原地、小淵沢で高校時代を過ごした。時を同じくして山梨勤務だった筆者は、よく小淵沢へと車を走らせ、取材した。

「かっちゃん」。素直で明るい人柄で、サッカー部のスタッフ、仲間、保護者からは親しみを込められ、そう呼ばれていた。4月1日の早生まれで身長160センチほどと小柄で、入学当初は丸刈り頭、ブカブカのユニホーム姿がほほ笑ましかった。ただ人一倍の負けず嫌い。ドリブルで果敢にゴールに向かうたびに激しく体を当てられ、吹っ飛ばされる。それでも何度も立ち上がっては、あきらめることなくゴールへと向かった。

一学年上には、今季でプロ生活20年となった清水エスパルスGK西部洋平もいた。ただチームは結果がなかなか出ず、士気も上がらなかった。当時の広瀬龍監督(のちに帝京監督)はまだ2年生だった「かっちゃん」を主将に大抜てきした。100人を超える部員が所属し、全国上位を目指すサッカー部である。驚きの指名だった。

だがキャプテンマークを右腕に巻いた小さな闘将は、以前にも増して誰よりも走り、誰よりも声を出した。いつも一生懸命だった。そんな姿がまぶたに焼きついている。当時の取材ノートにも「負けず嫌い」という文字が残る。その後の法政大でも主将を務め、常に精神的支柱であり続けた。指導者の慧眼(げいがん)が、その後のサッカー人生に道筋をつけたと言ってもいい。

「基本、負けたくないという気持ちがあります。あと、人には恵まれたと思います。(広瀬)龍さんもそうですし、これまでの指導者の方にも。やっぱり人として、いい大人になれってことを言われたので。それがすごく残っています」

法大対駒大 42年ぶり3度目の優勝を決め、長山監督はイレブンに胴上げされる(撮影・浅見桂子)
法大対駒大 42年ぶり3度目の優勝を決め、長山監督はイレブンに胴上げされる(撮影・浅見桂子)

■説いた「慢心せず謙虚に」

法政大はU-21日本代表FW上田綺世(あやせ、2年=鹿島学園)を筆頭に、能力の高い選手をそろえる。「慢心せずに謙虚に」と繰り返して説き、ピッチでも選手としてのあるべき姿や行動力を強く求め、叱咤(しった)する。ただピッチを離れれば「オンとオフがはっきりしていて、気さくに声をかけてくれる優しい人」(黒崎主将)である。

この日の試合中、時折冷たい雨がピッチに降り注いだ。だが雨が上がった試合後のピッチで、長山監督の目は熱い涙でぬれていた。全力で走り続けた日々の努力が報われた―。そんな思いが見て取れた。

寒空の師走を忘れ、温かな気持ちになった。

【佐藤隆志】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)

法大対駒大 42年ぶり3度目の優勝を決め、優勝杯を掲げ喜びを爆発させる法大イレブン(撮影・浅見桂子)
法大対駒大 42年ぶり3度目の優勝を決め、優勝杯を掲げ喜びを爆発させる法大イレブン(撮影・浅見桂子)