U-23(23歳以下)日本代表のJ2岡山FW豊川雄太(21)が、単身で熊本地震の支援活動を行った。16日の本震で震度6強を観測した熊本市東区出身。17日の練習試合後に岡山市を出発し、熊本市内の避難所に水や食料などを届けた。オフだった18日を利用した1泊2日、36時間の強行軍。変わり果てた故郷の惨状を写真に収め、肌で感じた思いと現状をリポートする。

 17日の練習試合に出場した後、岡山から新幹線に飛び乗った。危ないと言われても、居ても立ってもいられなくて。博多で在来線に乗り継いで、久留米まで。その車中で緊急地震速報が鳴り、現地の恐怖感を少しだけど実感した。10人乗りのワゴン車を借り、午前0時まで4時間かけてスーパーやコンビニを片っ端から回った。久留米の方には申し訳ないけど、店員さんの理解を得て、あるだけの水や食料を買い占めた。それでも荷台は埋まらない。隣県も物資が不足していた。

 玉名市の友人宅で4時間ほど仮眠し、18日の朝に市内へ入った。けど、熊本…じゃない。見慣れた光景がない。通学路も熊本城も阿蘇神社も、2月に訪れたばかりだったのに。実家は、震度7の前震があった益城町から自転車で10分。倒壊こそ免れたけど、離れて暮らす祖母は家が半壊して住めなくなっていた。教師の父は、避難所になっている勤務先の小学校で寝泊まりして帰れない状況だった。

 家族の無事を確認した後は、すぐ母校の長嶺小と長嶺中に物資を届けた。そこに避難している友達に必要な物を聞き、紙おむつや子供用品、生理用品などを持ち込んだ。水1本で信じられないほど感謝され、近所のおじさんは「こっちも頑張るけん、雄太君も頑張らなんよ(頑張りなさいよ)」と言ってくれて…。黙って、うなずいた。声を出せば涙が止まらなくなりそうだった。元気になってもらうはずが、逆に元気をもらってしまって。落ち込んでる暇なんかないと思った。

 実は、避難所で物資は渡せたけど、退避されている方がいる体育館までは行けなかった。本当は手渡したかったけど、自分は岡山に戻ってサッカーができるのに、何て声を掛けたらいいのか…。リオ五輪に熊本の人間として出て明るい話題を、とは思う。ただ、今は目の前の支援しか考えられない。落ち着いたらスパイクを送ったり、故郷のためなら何でもしていきたい。

 ◆豊川雄太(とよかわ・ゆうた)1994年(平6)9月9日、熊本市東区生まれ。大津高で鹿島DF植田と同期。3年時にプリンスリーグ九州の得点王になった。13年に鹿島入団、今季は岡山に期限付き移籍。リオ五輪1次予選は2試合1得点、最終予選は準々決勝イラン戦の決勝点など5試合1得点と活躍。家族は両親と兄、弟。右利き。173センチ、62キロ。血液型B。