W杯出場をかけた運命の一戦に向け、宿敵との歴史をたどる連載「俺とオーストラリア」の最終回は、現指揮官のハリルホジッチの言葉から。昨年10月のアウェー戦では、守備的な戦いであえて相手に主導権を握らせて構え、勝ち点1を得たが、評価は芳しくなく「フットボールの理解が違う」と“カルチャーショック”を覚えた。苦い思い出は今回のホーム戦にどう生きるのか。(敬称略)

 戦いから2カ月たっても、まだ消化しきれていないようだった。昨年12月、ハリルホジッチが16年の戦いを振り返った時のことだ。1-1で引き分けたオーストラリア戦については、特にショックが大きかったのだろう。雄弁だった。ショックとは、引き分けたことではない。狙い通りに戦い勝ち点1を得て胸を張ったが、強烈な逆風が吹いたからだ。

 「オーストラリア戦の後、批判がかなり強くなったということを聞きました。少し批判が限度を超えていたかなという感じもした。そこは少し理解ができない。もちろん、結果が出ないときは監督が一番責任を取らないといけない。ただオーストラリア戦後、やはりフットボールの理解の仕方が少し違うかなと思いました」

 ハリルホジッチはこの試合で徹底して相手を警戒。左サイドバックにDF槙野を置いて守備をさせ、FW本田を1トップに置き引いて構えた。終了間際にはDF丸山を左FWに置く奇策も発動。引き分けOKの“弱者のサッカー”をした。得点した原口が不用意なPKを与える誤算はあったが、勝ち点1は上々、狙い通りのはずだったが、聞こえてくるのは批判ばかりだった。

 「日本代表はポゼッション(ボール支配率)が50%以下の時に良い試合になっている。オーストラリアのポゼッション率をわざと高めさせておいて、相手のトライをすべて消す守備をし、勝つためのタクティクス(戦術)の準備をした。負けるためではない。ポゼッション率が低くてかなりの批判を受けましたが、フットボールの理解が違うのだなと私は思いました」

 ハリルホジッチと日本サッカー、特に対オーストラリアの理解と現実には、ボタンの掛け違え、隔たりがあった。W杯と予選で8戦未勝利の宿敵はデータからすれば格上。ただ、国際Aマッチ8勝9分け7敗と互角で、いかにアウェーでも引き分けOKの戦いが良しとされるほど割り切ることはできない前提がある。

 実際にこの試合のボール支配率は日本34%、オーストラリア66%と驚くべき数字だった。徹底的なリアリストになり、アウェーで狙い通りに引き分けたが、批判され「オーストラリア戦後にいろんなことを理解できた」。日本とオーストラリアの因縁、そして日本サッカーを取り巻く状況なども心に刻んだ。

 あの勝ち点1の価値は、今回の再戦で再評価される。「代表監督は評価されたり、されなかったりというのはあるんですけど。時々はもう少し、リスペクトされてもいいのかなと思う」。こうこぼしていたが、運命の一戦で勝てば評価され、最大限リスペクトされる。次はホームで勝てばいい試合。分かりやすい。勝ってどうだとふんぞり返るほどに、胸を張ればいい。【八反誠】(おわり)

 ◆バヒド・ハリルホジッチ 1952年5月15日、旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナ生まれ。現役時代はFW。ユーゴ代表として82年W杯スペイン大会に出場。引退後はフランスのパリサンジェルマン、リールなどで監督を歴任。コートジボワール代表監督も務め、14年W杯ブラジル大会ではアルジェリアを16強に導いた。