日本代表MF鎌田大地(24)は、所属先アイントラハト・フランクフルト(ドイツ)と同様に不動のトップ下に成長した。正確無比なスルーパスやシュートは今や世界トップレベル。父幹雄さん(52)が日刊スポーツの取材に応じ、母貴子さん(50)とともに家族で歩んだ24年間の成長の足跡を語った。挫折を乗り越えたエースは、第2の故郷関西で11日の国際親善試合セルビア戦に臨む。【取材・構成=横田和幸】

   ◇   ◇   ◇

鎌田の名前は、父幹雄さんが「世界で活躍してほしい」という願いを込め、88年ソウル五輪100メートル背泳ぎ金メダルの鈴木大地にあやかり授けられた。96年8月から25回目の夏を前に、世界で勝負できる男に成長した。

5月に欧州移籍4年目が閉幕。ドイツ1部Eフランクフルトで今季、目覚ましい活躍を遂げた。トップ下を任され、32試合5得点、リーグ3位の12アシストを稼いだ。目標の欧州CL出場をあと1歩で逃す5位に終わったが、日本代表と同じく攻撃を操り、ゴールを狙い続けた。

愛媛・伊予市で将来を嘱望された少年が、Jリーグ屈指の名門G大阪ジュニアユースへと進んだが、プロ予備軍の位置付けであるユースへは昇格できなかった。当時、同期には先に日本代表になるMF井手口がいた。この挫折が人生の分岐点になった。

「中学には身長150センチで入学したのに、3年間で約25センチも背が伸びた。急激に背が伸びて、思い通りに体が動かない時期があった」と幹雄さん。

体と感覚のバランスが取れない「クラムジー」と呼ばれる現象に悩まされ、ある時、父に「いつになったら、オレの体は思い通りに動くようになるんだ」と弱音を吐いたこともある。中学では毎年のように腰や手を骨折し、数カ月も離脱する不運もあった。

高校は京都・東山に進んだ。中学時代までの鎌田は技術は全国で通用していたが、課題はフィジカルやハードワークと言われていた。全国高校選手権へは行けなかったが、この3年間で鎌田は大きく飛躍できたという。

「大地が試合に出た高校1年の時、スタンドで(先輩を含む)100人以上の部員が声援してくれるんです。『僕のためになんで、こんなに応援してくれるのか。みんな試合に出たいはずなのに…胸が熱くなったと言ってました』。東山でハードワークの大切さ、仲間の大切さを学んだと思う」

会社員の幹雄さん、ダンスフィットネス「ジャザサイズ」のインストラクターを務める母貴子さんは、鎌田を含め2男1女を育てる上で守り通したことがある。

「子どもたちを決して甘やかすのではなく、例えば大地がやりたいと言ってきたことに、本人のことを第一に考えた上でイエスかノーを言ってあげたいと、妻とは話していた。大地が中学から親元を離れることに『自分たちが寂しいからだめ』『お金がないからだめ』とは言わなかった」

高校を卒業し、鳥栖入団直後の鎌田が、両親に感謝の手紙を添えて腕時計を贈ってくれたという。「これから(Jリーグのある)週末はめちゃくちゃ、楽しくさせるからね」。そんな兄を追うように、弟大夢(ひろむ、19)はJ3福島でプロになった。家族が寄り添い続けた証しだ。

鎌田は現在、中学時代に過ごした大阪での日本代表合宿に参加中だ。先発が確実視される11日のセルビア戦は、両親が住む兵庫県内での開催。第2の故郷で成長した姿を見せたい。テレビの前で応援する父はエールを送る。

「欧州でクラブに認められ、安定して試合に絡めて結果が出ているのがうれしい。代表ではまず森保監督に求められる仕事、ハードワークをし、その上で自分の特長を出してほしい。ぜひ、W杯出場の夢をかなえてもらいたい」

◆鎌田大地(かまだ・だいち)1996年(平8)8月5日、愛媛・伊予市生まれ。小学生時代はキッズFCに所属し、G大阪ジュニアユース、東山を経て鳥栖入り。3年目の17年夏にフランクフルト移籍、シントトロイデン(ベルギー)への期限付き移籍を経て19年8月に復帰。20年2月の欧州リーグではハットトリック達成。日本代表は19年3月に初選出、国際Aマッチ通算12試合4得点。180センチ、72キロ。家族は夫人と長男。

「愛犬の名前は世界最優秀選手にちなんで」はこちら―>