元日本代表DF大嶽直人氏(52=現伊賀FCくノ一三重監督)が10日までに日刊スポーツの取材に応じ、サッカー日本代表森保一監督(53)へエールを送った。

大嶽氏と森保監督は68年生まれの同学年。94年ワールドカップ(W杯)アメリカ大会のアジア最終予選イラク戦で「ドーハの悲劇」を味わった仲でもある。仲間は、森保監督を信じている。

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大嶽氏は、森保監督のことを「自分たちの目標」と言った。森保監督は同学年の友人であり、「ドーハの悲劇」を味わった戦友でもある。93年10月28日のイラク戦。無情にも、届かなかったW杯初出場の夢。あの時のメンバーは、それぞれが違う舞台で活躍している。FWカズは54歳の今も、横浜FCで現役を続ける。大嶽氏は、伊賀FCくノ一三重の監督に就任。くしくも、森保監督と同じ指揮官の仕事に就く。「お互いが尊敬し合っている部分がある、いい意味での競争意識がある」。28年がたとうと、絆は変わらない。

「直人」。「ポイチ」。68年生まれの2人は、互いにそう呼ぶ。同い年だからこそ、森保監督の人柄もよく分かる。アジア最終予選は3戦終えて1勝2敗。苦しい戦いを強いられる“ポイチ”に、あえて「彼には、そのままでいて欲しい」と笑った。「あの笑顔ですよ。選手に勇気を与えるスタイル。ぶれずにやってきたことを一貫して、彼の人柄、オーラを出し続けて欲しい」。胸を張って欲しいと願った。

大嶽氏にとって、森保監督は生きる教材となっている。「上から言うのではなく、選択肢を提示し、もっとやれるのでは? と引き出せる。ピッチでやるのは選手なので」と刺激を受ける。試合内容もだが、森保監督のベンチでの動き、立ち位置は常に目に入る。同学年でありながら“憧れ”の監督に勝って、笑って欲しいと願う。

つらい思いをして欲しくないから。あの「ドーハの悲劇」では、宿舎でも異質な体験をした。試合前日にもかかわらず、就寝中に無言電話が鳴り、何度も電話が“ワン切り”された。真夜中に、呼んでもいないホテルのボーイが、扉をたたき、入ってきた…。W杯切符を逃した試合後は「死人のようでした」。

「直人」、「ポイチ」は選手として、W杯には届かなかった。森保監督は、あの時の悔しさを晴らす舞台に戻ってきた。監督となって初のアジア最終予選。大嶽氏は言う。「未来のために切り開いてほしい」。【栗田尚樹】

◆大嶽直人(おおたけ・なおと)1968年(昭43)10月18日、静岡市生まれ。東海大一高-順大を経て、91年に全日空入団。Jリーグ開幕後は横浜Fと京都でプレーし、Jリーグ通算247試合に出場。01年をもって引退後は古巣の京都や北九州などで指導者を務め、18年から現職。