想像では計り知れない重圧がかかる自国のサッカー代表監督は「クレージージョブ(常軌を逸した仕事)」と言われる。日本代表の森保一監督(54)は、日本人指導者としては初めて、前回ワールドカップ(W杯)から丸4年を全うして本大会に出場する。日本で唯一2度のW杯指揮を誇る岡田武史元監督(66=日本サッカー協会副会長)が、約40年にわたって密着してきた日刊スポーツの歴代担当記者と「岡田武史論」を展開。四半世紀前の初出場からの挑戦回顧を通して、カタール大会(11月20日開幕)に挑む森保監督に全5回のエールを送った。

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「岡田監督任せろ“W杯4強”」

1997年(平9)11月18日付の日刊スポーツ1面の見出しである。

岡田ジャパンは同16日にイランとのアジア第3代表決定戦を延長戦の末に制して、W杯初出場を決めた。日曜日の深夜にもかかわらず、試合を中継したフジテレビの平均視聴率は47・9%。列島は一夜にして祝福と歓喜に染まった。

翌日の会見で岡田武史監督が言った。「ベスト4もいける。0・001%の可能性ですが」。サービス精神から出た冗談交じりのコメントだった。アジアの3番目で初めてのW杯。冷静に考えれば、あり得ないが、私はこの言葉に飛び付いた。一気に膨張した国民の期待感に、相応すると思ったからだ。今思うと、常軌を逸していた。

アジア最終予選から国民もメディアも、異様なほど一喜一憂した。チームへの期待と批判と称賛が、まるでジェットコースターのように上下した。標的になったのが成績不振で解任された加茂周監督を引き継いだ岡田監督。当時を「クレージーだった」と振り返る。

岡田氏 電話帳に電話番号を載せていたので、脅迫状や脅迫電話がいっぱいきた。家の前をパトカーが警戒していて、警察から子どもが危険だと言われて、かみさんが毎日、学校への送り迎えをした。世の中すべてを敵みたいに思っていたよね。

日本だけが特別ではない。自国の代表チームを率いる監督の過酷さについて、あのフランス人の名将アーセン・ベンゲル氏も「クレージージョブ」と語っていたと岡田氏は話す。負ければ容赦のないバッシングにさらされるからだ。特にW杯を戦うプレッシャーは想像を絶するものだという。

岡田氏 成功すればいいけど、失敗すると逃げて帰るところもない。その後もこの国にずっと住んで、サッカー界で付き合っていかなければならない。家族もいるしね。外国人監督と自国監督では立場がまるで違う。だから自分たちは勝って結果を出すしかない。

当時41歳。会見でベテラン記者から上から目線で面と向かって批判され、その後の会見では仏頂面を通して防衛した。新聞も一切目にしなかった。心に決めていたのは、どんな批判や重圧にもブレずに自分を貫く覚悟。FWカズをメンバーから外して、猛烈なバッシングを浴びても、動じることはなかった。

岡田氏 カズは調子も良くなかったし、あらゆるシミュレーションでも出場機会は少なかった。チームが勝つことだけを考えた決断だった。今の自分だったら残していたかもしれないよ。でも、あの時点の自分のすべてをかけて判断した。だからカズに悪いことをしたとは思っていないし、後悔もしていない。

当然ながら、過去にW杯に出場した日本人の選手も監督もいなかった。本番へ向けた準備も、情報収集もすべて手探りだった。

岡田氏 W杯は何が違うのかを聞くためにいろんな人に話を聞いた。ジーコが言ったのをよく覚えている。「メディアのプレッシャーが違う。世界中のメディアがくる」と。でも、それはジーコだからでしょう。何かすごい答えをもらったという感じはなかったね。

初めてのW杯は「4強」どころか、1次リーグ3戦全敗。スコアはすべて1点差の惜敗だったが、世界との差は想像以上だった。

岡田氏 同じ100メートルを走るのに、10メートルくらい後ろからスタートしている感じだった。日本代表は全員Jリーガー。初戦のアルゼンチンのFWバティストゥータはテレビで見ていた選手で、みんなすごい選手だとリスペクトしすぎて、自分も、協会も含めて同じスタートラインに立っていなかった。実力以上にそんなメンタルが影響したよね。

10年、岡田氏は再び日本代表を率いて、W杯南アフリカ大会で16強に進出した。日本にとって4度目のW杯ということもあり、98年ほどのバッシングは感じなかったという。18年のロシア大会では西野朗監督も16強に進出。11月開幕のカタール大会で森保一監督は3人目の日本人監督としてW杯に臨む。

岡田氏 自分も西野さんも監督就任は予選の途中から。森保は予選の最初から4年間やっている。これはすごいことだよ。いろんな波があったけど、すべて乗り越えてW杯を勝ち取ったんだから。日本にとっても大きな財産になる。

1次リーグはドイツ、スペインという強豪国と同組だが、欧州で活躍する海外組中心の森保ジャパンは、同じスタートラインに立っている。「W杯4強」も手が届くところまできている。森保監督の「クレージージョブ」は、これから大詰めを迎える。

岡田氏 代表監督時代にたたかれている時、(元日本代表監督の)横山謙三さんが「お前のやりたいようにやれ。文句言うやつがいたら俺がやっつけてやる」と言われた。あの心理状態の時に、その言葉だけでも、ものすごくうれしかった。だから自分も、森保にとってそんな存在になりたいと思っているよ。

【98年フランス大会担当=首藤正徳】

◆岡田武史(おかだ・たけし)1956年(昭31)8月25日、香川県生まれ。大阪・天王寺高-早大-古河電工(現J2千葉)。90年に引退後は指導者となり、97年10月に日本代表コーチから監督へと昇格。98年W杯フランス大会を指揮。札幌、横浜の監督を経て07年に日本代表監督に再登板した。14年11月にFC今治のオーナーに就任し、チームを経営。日本サッカー協会(JFA)副会長。