県内スポーツ指導者インタビュー企画「導く」の第19弾は、常葉大橘女子サッカー部の半田悦子監督(52)で、本日は後編です。現役引退後、アルバイトを経験しながら指導者を志したきっかけや、監督としての目標、信念、楽しみなどを語っています。

◆五輪出場後に引退

 アトランタ五輪出場後、31歳で現役を引退した。

 「指導者になるとは、全く思っていませんでした」

 鈴与清水時代、保育園での指導やサッカー教室を行っていた。高校時代、保育士に憧れたこともあり、子どもに教えることが好きだった。国体女子チームの指導、知人のサッカー教室を手伝いながら、書店アルバイトで生計を立てた。さらに調理師学校に入学。レストランで皿洗いもした。約1年間、来る日も来る日も皿を洗った。

 「『これを一生やっていくのか』とも思いました」

 当時、鈴与清水の監督を務めていた長沢和明氏(59)に相談。御殿場市サッカー協会の教室講師になった。2004年、創部した常葉学園橘中(当時)女子サッカー部の監督に就任。目標を3つ掲げた。

 (1)日本一になること

 (2)なでしこジャパンに選手を送り出すこと

 (3)サッカーを通して、部員の人間形成をすること

 「育成年代ながら、高みを目指したい。一方で選手は通過点なので、次につながることを意識しています。私がサッカーをして残ったのは、生涯の仲間。だから子どもたちにも、大事にしてほしい。私も静岡の人間で、周りの人に助けられて今があるので、できるだけ県内の人間を大事に育てたい思いがあります」

◆個人の長所生かす

 3期生のMF高木ひかり(24=ノジマステラ神奈川相模原)が16年、卒業生として初めて日本代表に選出された。大学で活躍している選手も多い。選手によく言うのは「10番が10人いても面白くない」。所属していた清水第八は、個人の長所を生かすスタイルで、持ち味の快足が発揮できた。

 「全員を同じ選手にしたくない。いろんな選手がいるから面白いんです。サッカーは目をつり上げてやるスポーツではないと思いますし、どこかで余裕がないと遊べません。根本の楽しみは、人と関わって性格もプレーもいろいろの中で、同じ方向を向いたらすごいということです」

 11年、常葉学園橘高の監督に就任。勉強を重ね、女性で2人目のS級ライセンスを取得した。サッカー観が広がり、選手の人間形成をより意識した。座右の銘は「感じる力」だ。

 「感じる力を付けてほしい。試合中なら、今はピンチなのかチャンスなのか。普段でも、ゴミが落ちていたら拾うとか」

◆LINE90人超

 練習中は厳しい言葉を発するが、終われば選手と笑顔で雑談する。卒業生のLINEグループは90人超。教師や、母親になっている教え子もいる。

 「中高は軸となる人格が形成される時。一緒にいて楽しいし、面白い。若いエネルギーをもらえて、活気ある中にいるのが若くいられる秘訣(ひけつ)かな」

 指導者歴14年。今日も、笑顔でグラウンドに向かう。【保坂恭子】

<半田悦子(はんだ・えつこ)略歴>

 1965年(昭40)清水市(現静岡市清水区)生まれ。小3でサッカーを始める。中3で清水第八に入り、全日本女子サッカー選手権7連覇。81年、日本代表初招集。AFC女子選手権で代表第1号を挙げる。89年に清水FC(翌年から鈴与清水)へ移籍。90年、アジア大会で銀メダル。91、95年に女子W杯に出場。96年、アトランタ五輪後に現役引退。代表通算75試合出場19得点。04年、常葉学園橘中の監督に就任。11年から常葉学園橘高監督。