ビジネス界出身ながら世界水準のリーグを目指して3期6年目の村井満チェアマン(59)が、日刊スポーツで執筆中のコラム「無手勝流(むてかつりゅう)」。今回は5月17日のJ1第12節浦和-湘南戦で起きた湘南MF杉岡のゴールが不認定となった、いわゆる「誤審問題」に言及します。現地で視察していた村井チェアマンは、この出来事からさまざまな課題を見いだしました。「フェアプレーとは何か」。技術が革新しても大事なものを、独自の視点で論じます。

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5月17日のJ1リーグ第12節浦和-湘南において、いわゆる「誤審判定」が発生しました。私はその瞬間、現場の埼玉スタジアム2002メインスタンドにいました。あのシーンでは、私の目にもゴールに入ったように見えました。恐らくスタジアムにいた多くの方々が同じ感想だったことでしょう。しかしながら、レフェリーは逆の判定を下しました。本件は数多くの課題を示してくれています。

判定技術をどのように高めていくべきか、レフェリー間のコミュニケーションに改善の余地はないか、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)や追加副審(AAR)、ゴールラインテクノロジーなどの導入をどのような考えに基づき進めていくのか、などです。こうしたレフェリングに関しては日本サッカー協会に所属する審判委員会の専権事項です。具体的な問題点についてはJリーグ側から一方的に口を挟むことはできませんが、しっかり協議をしていくつもりです。一方、チームや選手側にとって、あの状況においてフェアプレー精神とは、どう発揮されるべきものだったのかも一つの論点となりました。考え方には2つの側面があるように思います。

ひとつは、例えばシュートを打たれた側の誰もがゴールを認めていた場合、ゴールインしていたと自ら申告して自主的に1点を与えるという考え方です。「チーム・選手側の主体的な判断による」ものです。これは4月にイングランド2部でリーズ・ユナイテッドが実際に行った事例で、シュートを打たれたリーズが監督の指示により全くディフェンスをしないことで相手側に1点を返しました。

もうひとつの考え方は、サッカーには「レフェリーの判定は最終である」という規則があります。このルールを守り、ホイッスルが鳴るまでプレーを継続するというのもフェアプレーのひとつの形です。あらゆるプレーの局面において、これはどちらのスローインだとか、あのスライディングはボールにいったものか足にいったものなのかなどを、逐一自己申告や協議をしていたら、サッカーという競技そのものが成立しなくなってしまうからです。

あの時点でどのように行動すべきだったか、正解は1つではないのかもしれません。しかし、重要なのはフェアプレーに対するチーム内での日常的な意識の統一ではないかと思います。その判断は、突然求められるものだからです。

サッカーにおけるフェアプレーの在り方を考える上で参考になると思われるので、レフェリーの歴史を少し振り返ってみます。

サッカーというスポーツが始まった頃、実はレフェリーは存在していませんでした。紳士のスポーツとして、反則行為の判断は両チームの話し合いで決められていたのです。「チーム・選手側の主体的な判断による」ものが本来のベースにありました。その後、フットボールリーグが確立しプレーがより激しさを増すと、双方の話し合いでは解決しないことも増え、仲裁する人間の存在が必要になりました。レフェリーとは英語の「refer(参考にする・委ねる)」が語源なのです。レフェリーの存在が競技規則に明記されたのは、近代サッカーの始祖といわれるFA(イングランドサッカー協会)の設立から18年も後のこと。選手間で合意したうえで仲裁を委ねる以上、「レフェリーの判定が最終である」との考えにつながっていくのです。

フェアプレーを考える時、チーム、選手、レフェリーの間の、相互のリスペクト精神がすべての前提となります。今後どのようなテクノロジーが導入されても、その本質は変わらないでしょう。

◆村井満(むらい・みつる)1959年(昭34)8月2日、埼玉・川越市生まれ。浦和高サッカー部ではGK。早大法学部卒業後、83年にリクルートセンター(現リクルートホールディングス)入社。00年に同社人事担当執行役員に就任。その後、リクルートグループ各社の社長を歴任した。08年7月にJリーグ理事就任。14年1月に第5代チェアマンに就任し、現在は3期6年目。家族は夫人と1男1女。