首位横浜F・マリノスが2位FC東京との直接対決を3-0で勝利し、04年以来15年ぶり4度目のリーグ優勝を決めた。

FW仲川輝人(27)が今季15得点で同僚のFWマルコス・ジュニオール(26)と共に史上初の得点王に輝いた。ポステコグルー監督(54)就任当初は不遇の時を過ごしながら、徐々に信頼をつかみ主力に定着。今季はブラジル人中心の攻撃陣の中でも際だつ存在感を発揮して、チームを頂点に導いた。日本代表にも初選出されるなど、今季のJリーグの顔となった。

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6万人で埋まったホームの大歓声の中、終了の笛を聞いた仲川は両人さし指を空に向けた。得点時などに出るいつものポーズ。喜びをかみしめた。大一番では無得点も、相手守備陣に圧力をかけ続けた。大学4年時に右膝前十字靱帯(じんたい)断裂の大けがを負っても獲得してくれたクラブへの恩返しも果たす優勝。「最高の景色をサポーターに届けられてうれしい」と笑みを浮かべた。

15年ぶりのリーグ制覇は簡単な道程ではなかった。4月、攻守に安定感をもたらしたエジカルジュニオを故障で欠く。第8節で9位に後退。復帰後、持ち直すも、8月に左足骨折で再離脱すると3連敗。そんな中で夏以降にかけて調子を上げたのが仲川だった。緩急あるドリブル。今年7月の親善試合で対戦したマンチェスターCのイングランド代表DFウォーカーが「試合の中で何度もあの速さで仕掛けてくる。プレミアにあんな選手はいない」と漏らすほどの切れ味。リーグ戦15得点と飛躍して初の得点王にも輝いた。

昨季序盤はサッカー人生の危機だった。ポステコグルー監督の初年度18年の開幕当初。事実上の構想外で練習ではミニゲームにすら入れてもらえない。ピッチの隅で若手選手とボールを蹴る日々。屈辱的だったが「腐らずにやる」ことを心掛け、チャンスを待つ。先発起用された同4月18日のルヴァン杯1次リーグ東京戦で持ち味のドリブルから1アシスト。その後、指揮官にも認められ出場機会も増加し、昨季終盤からは主力としてチームをけん引。勢いを持続し、今季の躍進につなげた。

名門チームも近年は苦闘が続いた。リーマン・ショック以降は日産自動車の経営状況が変わり、16年には横浜みなとみらいにあったマリノスタウンを手放す。クラブハウスを失い練習場を転々。中村俊輔、中沢佑二のレジェンドも去った。そんな名門を救った1人が、監督の申し子的存在になった仲川だった。

来季はACLにも出場する。「アジア相手にもハードワークが大事。体作りにも気をつけていきたい」。海を越えてもやることは変わらない。一皮むけた仲川が、リーグ連覇、そして世界を相手に飛躍を狙う。【松尾幸之介】

▽Jリーグの村井チェアマン「素晴らしい雰囲気だった。ラグビーW杯や日本代表戦も行われた会場だが、これがJリーグだと示せた」

◆04年の横浜 岡田武史監督の下、リーグ2連覇を達成した。得点数はリーグ7位の47点だったが、失点が最少の30点。日本代表DF中沢、松田を中心とした堅守が光った。同代表の主力FW久保らけが人が多い中でも出場した選手が活躍。層の厚さも示した。当時は2ステージ制で、年間優勝の座を争った浦和とのチャンピオンシップ(CS)は2戦合計210分の戦いでも決着が付かず、PK戦に突入。横浜は4人全員が成功し、浦和は闘莉王と長谷部が失敗した。

◆横浜F・マリノス 前身は1972年(昭47)創部の日産自動車サッカー部。92年にチーム名を日産FC横浜マリノスに改称し、96年から正式に横浜マリノス。99年2月に横浜フリューゲルスの全日空スポーツ株式会社と合併し、現在のチーム名に改称。95年にJ1、01年にナビスコ杯(現ルヴァン杯)を初制覇し、03、04年にJ1連覇。天皇杯は前身時代から7度優勝。マリノスとはスペイン語で「船乗り」。ホームスタジアムは日産スタジアム(収容7万2013人)。