サッカーJFLのFC大阪は13日、疋田晴巳社長が急性劇症肝炎のため10日午前11時37分に大阪市内の病院で死去したことを発表した。60歳だった。

J3クラブライセンス取得など、Jリーグ入りを目指すチームの基盤作りに尽力した。情熱と愛情のある人柄を、番記者が振り返る。

 

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20年6月19日、見知らぬ番号から電話があった。

「私、FC大阪の疋田と申します」

突然の連絡に驚いた。

この日、大阪から3クラブ目のJリーグ入りを目指すFC大阪が、花園ラグビー場の指定管理者となることが決まった。ラグビー担当の私は「花園はどうなる?」という取材を進めていた。電話がきた30分ほど前に、FC大阪の広報に「担当者にお話を伺いたい」と要望していた。

新型コロナウイルスにより、在宅勤務が続いていた時期だった。本来であれば直接会って取材すべき事案。面識のない記者に電話をしてくれた上に、十数分にわたった丁寧な対応に人柄を感じた。

初めてお会いしたのは、約2カ月後の8月23日だった。全国高校ラグビー大会でも使われる花園第2グラウンドで、サッカーの公式戦を初開催。その取材に出向いた。ピッチサイドの疋田さんは無線でスタッフと連絡を取り合いながら、視線はピッチ。手元で試合展開の情報発信を行っていた記憶がある。この日は、あいさつをしただけだった。

その数日後、会社に疋田さんからの手紙が届いた。縦書きの便箋にぎっしりと取材への感謝がつづられ、名刺が添えてあった。まだ20代の記者に対しても、心遣いを欠かさない人だった。

クラブは今後、第2グラウンドの改修を予定している。かつてアメリカンフットボールに打ち込んだ疋田さんは、こう語っていた。

「花園では全国高校ラグビーが開催されます。より素晴らしい環境で、高校生にプレーしてほしい。ラグビーと一緒に聖地の価値を上げていきたいと考えています。アメフトも、ラグビーも、サッカーも、同じフットボールなんですよね」

愛と情熱に満ちた言葉が、忘れられない。【大阪本社ラグビー担当=松本航】