高校サッカー界で「レジェンド」と呼ばれる指導者の1人に、小嶺忠敏監督(76)がいる。

現在は長崎総合科学大高サッカー部を率いている。

大商大卒業後の1968年(昭43)に赴任した島原商の監督を経て、84年に赴任した当時の「弱小国見」を情熱的な指導と革命的な戦術で常勝軍団に鍛えあげたことで知られる。

06年度まで国見を21年連続で選手権に導き、87年度に悲願の初優勝。

「監督をして20年。やっとここまで来たかという思いだった」

その言葉は印象的だった。

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そこから03年度までに、帝京(東京)と並ぶ戦後最多6度の優勝を積み重ねた名将だ。

08年からは長崎総合科学大高を総監督として率い、13年の選手権初出場に導いた。15年からは、監督として指導に携わっている。

とはいえ、総監督に就任当時の同校は長崎市で最下位レベルの「無名校」だった。だが「チャレンジャー精神を忘れたら終わり」とのポリシーに火がついた。サッカーを人間教育の一環と位置づけてきたことから、部員の礼儀や身だしなみから厳しく指導。スカウト活動も率先して行った。

時代も変わり、かつて「鬼」と形容もされたスパルタ指導はなくなったが、国見時代同様、自費で購入したマイクロバスで遠征にも出かけて場数を踏ませ成長させた。

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情熱のかけ方は今も同じだ。

06年3月国見高校長を定年退職後も総監督として指導し、07年1月に総監督を辞した。

選手権の監督通算勝利数(首都圏開催の76年度以降)は1位の73勝(島原商8勝、国見65勝)。育てたJリーガーは、元FC東京FW平山相太やDF徳永悠平、C大阪大久保嘉人ら30人以上にのぼる。

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今年8月14日。小嶺監督率いる長崎総合科学大高は、2年ぶりに開幕したインターハイ(高校総体、福井県)に挑んだ。初戦の相手は優勝候補の青森山田だった。

0-3で完敗したが、青森山田の黒田剛監督(51)は、小嶺監督を目標にしてきたという。大型免許を取得し、バスで遠征を重ねたのは小嶺監督の姿を見てきたから。3度目の対戦。青森山田に初めて勝利を献上したが、サッカーへの情熱は変わることなく指揮した。

今なお、76歳にしてチャレンジャーとして成長を目指している。サッカーに人生をかけるパワフルな生き様は、国見時代から衰えることがない。【菊川光一】

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