今夏にJ1のFC東京に完全移籍した日本代表DF長友佑都(35)が、このほどスポーツ紙の合同インタビューに応じた。約11年間にわたる海外生活では、外国人枠を争う重圧や責任を背負い、強いメンタリティーが養われた。身の危険を感じた瞬間もあった。

 ◇   ◇   

-10年以上の海外挑戦で最も学んだことや、ためになったことは

長友 一番はメンタリティー。育ってきた環境とはまったく違う文化や言語に、すぐさま適応しないといけない。イタリアもフランスも(リーグに)外国人枠がある中で、南米やアフリカの選手と枠を争う。クラブとしてもファンサポーターからも助っ人として見られる。そういうところのプレッシャーや責任というのはすごく、大きなものを背負い感じながらプレーした。だめだったら批判もすごくされる。メンタルが一番成長できた

-パフォーマンスが落ちれば明日はないという危機感もあったか

長友 試合に負けた翌日は、外に出られない。身の危険を感じたことも正直ある。それくらい、熱さもあり、厳しい環境でやっていた。

-危険を感じた瞬間は

長友 直近ではマルセイユで、勝てなくてサポーターが練習場に何百人と押しかけてきた。警察が何十人もきてくれた。クラブハウスの中まで入ってきて、発煙筒とかガラスは割られるわ、けがした選手もいる。そのときは命の危険を正直感じた。

-それだけの文化の中で戦い続けられた理由は

長友 覚悟とか信念みたいなものは、自分はもう違うレベルにあるのかなと。腹をくくっているし、なにがあってもここで戦う、活躍するというところは、ぶれたことがないし、それは夢や目標がしっかりあって、それをかなえるために日々をやる覚悟が強く自分自身の柱としてある。

-インテル時代には、試合に出られない時などはオフでもクラブハウスで走っていたという話も

長友 悔しい気持ちが自分を成長させてくれると分かっている。トレーニングしかない。試合に出られないときとかは隠れてトレーニングしていた。トレーナーにダメと言われても。アウェー戦で家に午前3時や4時に帰ってきても、近くの坂道を走っていた。それくらいやらないと残っていけないし、今の自分はいない。

-約11年間の成長実感しているか

長友 成長するためには妥協しないので。この11年、サボってないし、自分のプロセスに後悔はまったくない。満足できないので、今の自分に。

-本田圭佑がリトアニアを新天地に選んだ。話はしているのか

長友 しています。僕が東京に決まるときも連絡した。お互いの決断を常にリスペクトしている。それぞれの場所でお互い頑張ろうぜという前向きな話。

-本田はJリーグには復帰しないと明言していたが、そういう考え方をどうとらえるか

長友 おもしろい考え。癖がある人がたくさんいるほうが盛り上がる。みんながいつも常識に従ったり普通に歩むよりも、いろんな国で勝負をしていくような、癖がある決断ができるのが彼のカリスマ性というかパーソナリティーだと思う。