東日本大震災から11年となった3月11日、J3いわきFC(ホームタウンは福島県いわき市、双葉郡)が、地震発生時刻の午後2時46分、活動拠点のいわきFCパークで犠牲者に黙とうをささげた。

11年前、福島第一原発事故の際に最前線基地となったJヴィレッジスタジアムをホームスタジアムとする。社会復興の一助として立ち上がったクラブとあって、13日の初戦(対鹿児島、アウェー)を前に、大倉智社長(52)は地域の光となるクラブとなることを誓った。

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午後2時46分、ピッチのセンターサークルにメンバーが整列して1分間、犠牲者の冥福を静かに祈った。スタッフ、選手たちの顔を照らすうららかな春の日差しは、11年前の暗雲垂れ込めた空とは別世界のようだった。「3・11」は、いわきFCにとっても大きな意味を持つ日である。だが、大倉社長は「震災に節目はない」と断じる。

「3・11(午後)2時46分というのはもちろんありますけど、この日に限らず、常にその気持ちは心にあります。風化させない、そのためにもずっと思い続けています。この11年目で世の中が変わっていく危惧(きぐ)があるところで、そうならないための、クラブであり続けたい」

Jリーグ58番目のクラブとして誕生したいわきFCは、Jクラブで唯一「失意」から誕生したクラブである。元Jリーガーの大倉社長は、周囲の反対をものともせず湘南社長という地位を辞し、15年12月にいわきFCへと身を転じた。米スポーツメーカー「アンダーアーマー」の日本での販売権を持つドーム社が、社会復興の一助としていわき市に雇用を生むための物流倉庫を建設。歩調を合わせ、つくったのが地域密着をうたうサッカークラブだった。

震災から10年という節目となった1年前。いわきFCはこんなメッセージ動画を作成し、流した。

「本当は、生まれずに済んだらよかったのかもしれない。あの日の出来事を思い出すと、そんなふうにすら、思える。10年前。この街はたくさんの大切なものを失いました。今はもう、見ることの出来ない風景。今はもう、会うことの出来ない人たち。例えようもない、深い悲しみ。癒えることのない、痛み。このチームは、そんな悲しみに根ざして生まれました。(中略)今はまだ、道半ばです。でも、本当の目的地は、もっと遠くにあります。Jリーグよりも、もっともっとずっと先に。どうか、傲慢(ごうまん)に聞こえたら許してください。いわきFCは誇りになりたいのです。この街で生まれ、この街で育ち、この街で暮らす人たちの」

「生まれずに済んだらよかった」クラブを率いる大倉社長が続ける。

「報道されているように、電車は通ったけど、帰れない人、困難区域もあるし、これから町をつくろうとしている。そうすると、まだ道半ばだし、終わってない。復興の終わりって何、っていうのが、被災者でない僕ですら感じます。帰らないと決めている人もいるし、帰りたいけど帰れないという人もいたり、いろんな思いを持っている人がいる」

1年前の2月には、福島県沖地震をチームは体験した。尋常じゃない揺れに震災を体験していないスタッフ、選手たちも恐怖におののいた。加えて、それが10年前の東日本大震災の「余震」だと知り、震災は現在進行形の現実なのだという思いを強くした。

16年に福島県2部リーグからスタートし、わずか6年でたどり突いたJリーグ。11年前には福島第1原発事故の最前線基地となっていたJヴィレッジスタジアムで20日にホーム開幕戦(対SC相模原)を行う。

「復興のゴールは分からない。復興という定義も分からないですから。これはずっと続く話で、何もゴールを決める話でもない。その中で、僕らはやるべきことをやる、サッカーで言うなら90分間止まらない、倒れないという魂のこもったフットボールをする。それが僕らに課せられたものであり、地域の人に喜んでもらえるような非日常空間をつくるのが仕事です」

そして「復興のシンボル」とまつられることは「おこがましい」と嫌う。チームには、いわき市含め被災地、東北出身者は6人。震災を知る当時の少年が、11年という時を経て立派に成長した。「震災を風化させたくない。いわきFCを見ることで、その裏側にあるストーリーを見てほしい」と大倉社長は願う。

日々、淡々といわきFCは、社会に寄り添っていく。そんな存在であり続ける。【佐藤隆志】

<いわきFCの歩み>

◆12年 東日本大震災発生から1年がたった6月、いわき市に「いわきFC」が創設される。

◆13年 11月に一般社団法人いわきスポーツクラブを設立し、法人化。

◆15年 株式会社ドームが東日本大震災からの復興や地域活性化を掲げ、物流センター「ドームいわきベース」の建設とサッカークラブの立ち上げを計画。同年12月に「株式会社いわきスポーツクラブ」を創設し、いわきスポーツクラブからいわきFCの運営権を譲り受ける。

◆16年 湘南社長だった大倉智氏がいわきスポーツクラブの社長に就任。福島県2部リーグ優勝。

◆17年 福島県代表として天皇杯初出場、同1部リーグ優勝。

◆18年 東北2部リーグ優勝。

◆19年 東北1部リーグに優勝し、全国地域サッカーチャンピオンズリーグも制し、JFLへ昇格。

◆20年 1月、いわき市に加え双葉郡の8町村もホームタウンとする。JFL1年目は7位。

◆21年 JFL2年目で優勝し、J3昇格を果たす。

◆22年 J3参戦。