【ドバイ(UAE)16日】ポ・イ・チ ボンバイエ! サッカー日本代表が調整中だったカタール・ドーハからドバイ入りした。

今日17日に国際親善試合カナダ戦を迎える。舞台は10月1日に死去したアントニオ猪木さんが生前、死闘を繰り広げたアルマクトゥームスタジアム。脳振とうの遠藤、左ふくらはぎ違和感の守田、発熱の三笘のMF陣が欠場する中、この日の前日会見に出席した森保一監督(54)は、柴崎と故障明けの田中のボランチ起用と、CB板倉と浅野の先発を明言した。猪木さんの息吹の残る場所から、世界のリングに上がる。

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40年前のリングは、今はもうなかった。きれいに整備されたグラウンドが広がっていた。プロレスの面影はなかった。サッカー一色の施設内の会見場。前日会見に臨んだ森保監督は「けが人、体調不良者が出ることは起こり得ること。いろんなことを想定して、26人を選んでいる」と力強く言った。1982年(昭57)に、猪木さんが死闘を繰り広げた場所で-。世界有数の観光都市となった街は様変わりしたが、変わらないものもある。「(カナダ戦に)守田、遠藤はいないにしても、十分にW杯で戦っていける選手層はある」。不変の闘魂が宿っていた。

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1990年(平2)2月の新日本プロレス東京ドーム大会の試合前。「もし、負けるということがあると、これは勝負は時の運という言葉ですまないことになりますが?」。インタビュアーの問いかけに、猪木さんは「出る前に、負けること考えるバカがいるかよ!」とビンタ。テレビで流れた衝撃的な映像は、今もYouTubeに残る。森保監督に、そんな32年前のシーンについて聞いた。

森保監督 改めて、勇気というか自信をもらった。戦う前、全ての結果を受け止められる準備はしておく必要はあるが、今の選手の力をもって、チームと個の力を発揮できれば、結果は付いてくると思っている。

「迷わず、行けよ 行けば分かるさ」。名言に背中を押されるように、ドバイに入った。脳振とうからのプロトコル過程の遠藤、左ふくらはぎの違和感を抱える守田のレギュラー2人はドーハに残留。三笘は発熱の影響で、代表でただ1人、合流が遅れている。遠征メンバーに入った冨安も右太もも裏の故障で、カナダ戦は欠場する。苦境だからこそ、指揮官は猪木さんの言葉を胸に刻む。「元気があれば何でも出来るって、すごい名言だなと思って。本当にそうだと思う」。ファイターたちのリングインを待っている。

W杯が始まる前に、負けることなど、考えない。初戦の23日ドイツ戦まで1週間。元気が一番。「坂口(征二)さんとか新日本プロレスですよね。長州力さんとか。ジャンボ鶴田さんは全日本プロレスですね」。幼少期はプロレスに夢中だった。「元気ですか!?」と、選手たちに問う。目標は悲願のベスト8以上ダァ-! 【栗田尚樹】

◆アントニオ猪木のドバイ遠征 猪木率いる新日本プロレスは82年4月8~10日の3日間、ドバイのアルマクトゥームスタジアムで興行を行った。猪木をはじめ藤波辰巳(名前は当時)、長州力、タイガーマスクら主力選手が参戦。猪木は8、10日のメインイベントに登場。シングルマッチでディック・マードックとバッドニュース・アレンにフォール勝ちを収めた。試合は地元のテレビやラジオでも中継され、最終日には8500人の大観衆がつめかけた。隣国のヨルダンやパキスタン、サウジアラビアでも新聞で大々的に報道された。