【ドーハ(カタール)19日=磯綾乃】サッカー界の宝がついに、神になった。アルゼンチン(FIFAランキング3位)が史上3カ国目の連覇を目指したフランス(同4位)を破り、36年ぶり3度目となるW杯の頂点に輝いた。アルゼンチンの不動のエース、FWリオネル・メッシ(35=パリ・サンジェルマン)は2ゴールを決め優勝の立役者へ。大会通じて7得点を挙げ、最優秀選手に贈られる「ゴールデンボール賞」にも輝いた。5度目の挑戦で「最後のW杯」と公言し臨んだ大舞台。華々しいタイトルの数々に唯一足りなかった、W杯の栄冠が加わった。

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メッシは待ち切れなかった。早く会いたくて、手を触れたくて、たまらなかった。MVPに選ばれ一足先に表彰台に呼ばれたエースは、中央に置かれた輝くトロフィーを見つけると、思わずキス。無邪気な姿に気づいたサポーターが大歓声に沸くと、もう1度ゆっくりキスをした。

「世界チャンピオン!! 何度も夢見て、欲しくて、まだ信じられない…」。試合後、あふれ出る思いをインスタグラムにつづった。06年に初出場してから16年。どれだけ恋い焦がれてきただろうか。20代の頃のようなキレはない。その代わりに、成熟されたゴールへの嗅覚、情熱、執念がにじみ出た。

前半23分、PKを冷静に決めて先制ゴール。そして2-2で迎えた延長後半3分、La・マルティネスが放ったシュートのこぼれ球を右足で押し込んだ。決着はつかずもつれ込んだPK戦。キッカーの1人目として堂々とゴールネットを揺らした。背番号10はずっと、この物語の主役だった。

雲の上の「神の子」もこの結末を見守り、喜びを爆発させているだろう。2年前に60歳の若さでこの世を去ったディエゴ・マラドーナさん。いつもスタンドから力をくれた姿は、もうドーハにはない。「彼がここにいたら、とても楽しんでいただろう。彼は私たちの心の中にいます」。スカロニ監督はともに喜ぶ姿を思い浮かべた。

「神の子」がわが子のようにかわいがり、後継者として見守ったメッシ。時には偉大すぎる存在と周囲から比較され、批判されることさえあった。16年には重すぎるプレッシャーに1度、代表引退を表明した。再び立ち上がる力を取り戻したのは、信じてくれた存在があったからだ。背番号10のマラドーナさんが1986年メキシコ大会で輝きを放ち、W杯優勝に導いてから36年。系譜を継ぐメッシがアルゼンチンにもたらした歓喜の瞬間。「神の子」に肩を並べられた瞬間だったかもしれない。

やっと目の前に来た金色のトロフィー。早く持たせてくれと言わんばかりに、メッシは手を何度もさすった。初戦でサウジアラビアにまさかの敗戦を喫してから、6戦負けなしでたどり着いた頂点。華やかなタイトルの数々に唯一足りなかった栄冠。ともに戦い続けた仲間の前で目いっぱい掲げた。「アルゼンチンがチャンピオンだ!」。天まで届くように、高らかに叫んだ。

▼メッシの記録メモ W杯通算出場数を26とし、マテウス(ドイツ)を抜いて単独最多に。通算出場時間も2314分となり、マルディーニ(イタリア)を抜いて歴代最長となった。35歳177日でのゴールはW杯決勝史上2番目の年長得点記録で、最年長は58年大会のリードホルム(スウェーデン)の35歳264日。同一大会で1次リーグと、決勝トーナメントの全試合で得点したのは史上初。通算13得点はフォンテーヌ(フランス)に並び歴代4位。

◆PK戦 決勝のPK戦突入は今回が3度目。アルゼンチンはW杯史上最多6度目のPK勝ちとなった。準々決勝のオランダ戦で打ち立てた記録をさらに更新した。GKゴイコチェアが計4本のPKをストップした90年大会で2勝、98年大会でもイングランドに勝利。06年大会ではドイツに4本全てのキックを決められて敗れたが、14年大会の準々決勝でオランダに勝利した。一方、フランスはW杯のPK戦は通算2勝3敗と黒星先行。06年大会の決勝でもイタリアに敗れた。

▼メッシの足跡

◆1987年6月24日生まれ、アルゼンチン・ロサリオ出身。

◆95年 地元のニューウェルズの下部組織に入団。

◆2000年9月 成長ホルモンが分泌されない病気で体格に恵まれず、治療費の負担を申し出たスペインのバルセロナに13歳で入団。

◆04年10月 スペイン1部リーグのエスパニョール戦に17歳でデビュー。

◆05年5月 同アルバセテ戦で初得点。17歳10カ月は当時のクラブ最年少記録。

◆05年7月 20歳以下の世界大会であるワールドユース(現U-20W杯)にアルゼンチン代表として出場して優勝。得点王とMVPを獲得。

◆05年8月 ハンガリー戦に18歳でA代表初出場。だが、レッドカードを受けて退場のほろ苦デビュー。

◆05-06年 バルセロナで欧州CLとリーグ戦の2冠に貢献。

◆06年6月 セルビア・モンテネグロ戦でW杯デビューし、1得点1アシスト。18歳358日はアルゼンチン代表のW杯最年少得点記録。

◆07年4月 スペイン国王杯のヘタフェ戦で、86年W杯のマラドーナをほうふつさせる「5人抜きゴール」。

◆07年7月 南米選手権に初出場。決勝でブラジルに敗れて準優勝。

◆08年8月 21歳で北京五輪に出場し、金メダルを獲得。U-20、U-23の年代別世界大会で2冠。

◆09年12月 バロンドールを初受賞。

◆10年7月 マラドーナ監督と、W杯南アフリカ大会に出場。5試合無得点で8強止まり。

◆11年7月 南米選手権で準々決勝敗退。大会後の9月に代表の主将を任される。

◆11-12年 バルセロナでシーズンの公式戦60試合73得点の驚異的な成績を残す。

◆13年1月 史上初となる4年連続4度目のバロンドール(12年)受賞。

◆14年7月 W杯決勝でドイツに敗れる。自身は7試合4得点でMVP。

◆14-15年 スペインリーグ、国王杯、欧州CLの3冠達成。

◆15年7月 南米選手権の決勝でチリに敗れ準優勝。大会MVPに選ばれたが辞退。

◆15年12月 日本で開催されたクラブW杯の決勝(横浜)でリバープレートを下して優勝。

◆16年6月 南米選手権の100周年大会でまたしても決勝でチリに敗れて準優勝。

◆18年6月 30歳でW杯ロシア大会に出場。1次リーグ・ナイジェリア戦でW杯史上初となる「10、20、30代ゴール」を達成。だが、決勝トーナメント1回戦で最終的に優勝したフランスに敗れる。

◆18-19年 欧州CLで6度目の得点王。

◆19年7月 南米選手権で準決勝のブラジル戦で敗戦。チームは3位決定戦でチリに勝って3位になったが、自身は表彰式に参加せず。

◆20-21年 スペイン1部リーグで最多8度目の得点王。

◆21年7月 南米選手権の決勝でブラジルを破り、A代表で初のタイトルを獲得。

◆21年8月 バルセロナとの関係が悪化して退団。パリ・サンジェルマンに移籍。ネイマール、エムバペとともにプレーし、21-22年のリーグ制覇に貢献。

◆21年11月 史上最多記録を塗り替える7度目のバロンドール受賞。

◆22年12月 W杯カタール大会で初優勝。

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