ネイマールが、また泣いた。GKナバスを中心としたコスタリカの堅守に大苦戦。後半ロスタイムのゴールで劇的勝利を決めると、ピッチに崩れて両手で流れ落ちる涙をぬぐった。試合後には、自身のインスタグラムで「苦しかったけど、やっと勝てた」と、涙を流した理由を明かした。

ブラジルが勝利し涙するネイマール(ロイター)
ブラジルが勝利し涙するネイマール(ロイター)

 泣き虫だ。日刊スポーツの記事データベースで「ネイマール 涙」と検索すると、実に59件もの記事がヒットする。勝っても、負けても、よく泣く。試合前の国歌で泣き、試合後の会見で泣く。前回の地元ブラジル大会もネイマールの涙で始まり、涙で終わった。

 「泣きすぎじゃないの」という声は、ブラジル国内にもある。「涙腺が弱いのは精神的に弱いから」という批判もある。もちろん、ポジティブにとらえるサポーターも多い。前回大会の屈辱があるから、今大会こそは「歓喜の涙を」と、国民は思っているはずだ。

 16年リオデジャネイロ五輪決勝でドイツにPK戦勝ちして母国に初の五輪金メダルをもたらした時も、ピッチに伏して大泣きした。現地のエリーザ大塚通信員は「泣きすぎ」と笑いながらも「セレソン(ブラジル代表)の10番は、それだけ大変なのよ」と言った。ブラジル代表で10番には、想像を超える重圧がある。

ネイマール(ロイター)
ネイマール(ロイター)

 「10番」に特別な意味を持たせたのは「王様」ペレだ。58年スウェーデン大会に17歳で出場し、70年メキシコ大会までブラジルは3度のW杯優勝。「10番」はペレのが代名詞となるとともに、絶対的なエースの番号として広まった。

 74、78年大会では「左足の魔術師」リベリーノがつけた。82、86年大会はジーコが「黄金の中盤」を率いた。90年大会のシーラスは活躍できなかったが、その後もライー、リバウド、ロナウジーニョ、カカと世界的にも有名な選手が「セレソンの10番」というプレッシャーと戦ってきた。

ブラジルFWネイマール(2014年6月12日)
ブラジルFWネイマール(2014年6月12日)

 「サッカーボールを抱いて生まれる」と言われるブラジル人。2億国民の期待は代表の10番1人に注がれる。ネイマールは毎試合、他国では考えられないようなプレッシャーと戦っている。世界が注目する涙が表すのは、ブラジルの喜びであり、悲しみでもある。