男子20キロ競歩世界記録保持者で金メダルが期待された鈴木雄介(27=富士通)が、涙の途中棄権となった。恥骨の痛みに耐えながら先頭集団でレースを展開も、痛みが限界に近づき、11キロ付近で自ら「×」マークをつくって競技を打ち切った。来年のリオデジャネイロ五輪を見据えた上での苦渋の決断だった。藤沢勇(27=ALSOK)は13位、高橋英輝(22=富士通)は47位。日本勢は3大会連続の8位入賞はならず、五輪代表内定は持ち越された。

 戻ってこられなかった。1キロの周回コースを先頭集団で歩いた11キロ過ぎ。金メダル候補だった鈴木の姿が突然、消えた。スタジアム入り口に陣取った父裕文さん(64)母恵子さん(59)は「雄介がいない」と困惑した。世界記録保持者は、4度目の世界選手権で初の途中棄権となった。

 「アップから痛くなっていた。あと半分で我慢しても、ペースはいっぱいいっぱい。後半は他の選手もペースが上がる。調子、痛み、ペースを考えてメダルは厳しい。我慢して完歩するよりも今後を考えてやめた。本番は来年なので」

 綿密なレースプランを立てて臨む。不調でもレースでは全力を尽くす、という美学はない。「精神力で驚異的に巻き返すという種目じゃない」という。「世界選手権でなければ、出ていなかった」という痛みに耐えたのはメダルのため。目標が消えた時点でスパッと判断。ただ正しい判断だと分かっていても、冷静な男の目から涙がこぼれた。

 2月の日本選手権前日会見。報道陣10人ほどの前で「くねくねしていると笑われたっていい。競歩を1度、見てもらえれば」と熱弁を振るった。1年前の同じ前日会見は記者1人だけ。3月に世界新記録を樹立して取材が殺到しても「競歩を知ってもらいたい」と丁寧に応じてきた。

 5月で取材は80件を超えた。練習計画の変更を余儀なくされ、恥骨のけがにつながった。ストレッチや筋トレに充てるはずの時間が治療に費やされた。最後は痛み止めの薬も効かず、胃も荒れた。「今年は記録を出してイレギュラーなことがたくさんあった。いきなり過ぎたのが第一かな」。ただ競歩を知ってもらうために費やした時間を決して言い訳にしなかった。

 「ふがいない。最低でも観戦する人に、ちゃんとみてもらえるレースをすること。その役割を果たせずに、つらかった」。今大会は個人種目で8位入賞した日本人トップはリオ五輪代表に内定していたが、持ち越しとなった。年内はけがの回復を優先して休養する見通し。マイナー種目である競歩の楽しさに気づいてもらうために、五輪で金メダルに再挑戦する。【益田一弘】

 ◆鈴木雄介(すずき・ゆうすけ)1988年(昭63)1月2日、石川県生まれ。小松高、順大を経て富士通入社。15年3月の全日本競歩能美大会で出した20キロ競歩1時間16分36秒が世界記録に。171センチ、58キロ。