女子マラソンの伊藤舞(31=大塚製薬)が、日本勢最高の7位入賞で来年のリオデジャネイロ五輪に内定した。33キロ過ぎに先頭集団から遅れたが、持ち味の粘りで2時間29分48秒でフィニッシュ。弱気の虫を抑え込んで、11度目の挑戦で初の日本人トップに感極まった。日本勢は10大会連続入賞となった。前田彩里(23=ダイハツ)は13位、重友梨佐(28=天満屋)は14位に終わった。次回大会は17年ロンドンで開催される。

 悪い予感が頭をよぎった。34キロ付近、伊藤を含めた3人の7位争い。「今までの私なら9位になるかな」。リオの条件は8位入賞以内で日本勢トップ。「3人だと後ろからも追いつかれる。いけるところまでいく」。マラソン未勝利の31歳は弱気の虫を振り払うようにペースアップし、2人を置き去りにした。ゴール後は大塚製薬の河野監督に「笑顔で会うことがなかった。やっと会えた」と抱きついた。

 北京入り前の24日、地元徳島の最終調整で右股関節に痛みを感じた。「不安で不安で」。11年大邱大会は30キロで脱落し日本勢最低の22位。2度目の世界選手権出場を前に心が揺れた。練習の中止を申し出ると河野監督にこう言われた。

 「走らないなら試合をやめろ。やるなら走れ」

 伊藤は「えっ」と絶句したが、恩師のけんまくに400メートル×25本のメニューを消化。すると痛みは消えた。「痛みは精神的なものだったのかも」。11度目のマラソンでもレース直前まで何度もトイレに入った。「いろんなレースに出ても勝てないし、駅伝でも区間賞は取れないし…」。直前まで、不安を抑えきれなかった。

 苦労人だ。陸上を始めた京都橘時代は高校総体出場なし。京産大4年で芽が出たが、07年に入社した強豪デンソーでは結果がでなかった。同社を退社して、母校で練習する浪人生活が続いた。

 そんな時、09年に女子陸上部を立ち上げる河野監督に誘われた。当時を知る青木美穂トレーナー(40)は「左右の筋肉バランスが悪くても、意地で走っていた」。こつこつとトレーニングしてストライド走法と粘りを支える太もも裏を鍛え、体のバランスを整えてきた。伊藤は「3点倒立がうまくなりました」と笑う。

 初の五輪を32歳で迎える。「ゆっくりだが、ずっと伸びている。それで代表クラスに届いた。ガラにもなくうるっときたよ」と河野監督。女子マラソン五輪第1号は「35キロ以降も前でいけるように準備したい。前で走れれば走れるほどうれしい」と目を輝かせた。【益田一弘】

 ◆伊藤舞(いとう・まい)1984年(昭59)5月23日、奈良県生まれ。京都橘高で陸上を始め、京産大4年で日本インカレ1万メートル優勝。デンソーを経て大塚製薬入り。世界選手権は11年大邱大会で22位、今年3月名古屋ウィメンズで3年ぶりに自己記録を更新する2時間24分42秒の4位。156センチ、40キロ。