招待選手の橋本崚(25=GMO)が、青学大出身者で初めてMGC出場権を獲得した。日本勢では2位となる総合5位、2時間9分29秒の自己ベストを記録。大学時代は箱根駅伝に出場できなかった無名のランナーが、来年の東京五輪代表を懸けた9月のMGC出場権を手にした。二岡康平(24=中電工)が日本人トップの4位、岩田勇治(31=MHPS)が6位で、ともに一般参加でMGC出場権を得た。男子の資格者は計24人となった。

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橋本は地元大分で歯を食いしばった。日本人6人の集団から第2折り返しの35キロ付近で二岡と岩田が抜け出た。「福岡国際マラソンの失速がフラッシュバックした」。引き離されそうになったが「タイムは良かったので、もう1度いけるんではないか」と食らいついた。日本勢2位ながら、MGC出場資格の2時間10分を切る自己ベスト、2時間9分29秒でゴールし、所属の花田監督と抱き合った。

9位に終わった昨年12月の福岡国際後、40キロ走を3、4回こなしてスタミナを強化した。「ハードな練習をした成果が出ました」。橋本が遅れ始めた時、テレビ解説をしていた青学大の原晋監督(51)が「(腕)時計なんか見ないで、しっかり走りなさい!」と思わず“激励”する場面があった。レース後、これを聞いた橋本は「大学時代はあまり怒られたことがなかったので、ゲキはうれしい」と恩師に感謝。青学大OB初のMGC出場に「素直にうれしい」と喜んだ。

悲劇は忘れない。青学大2年時の全日本大学駅伝、6区で区間5位。箱根5区の有力候補になったが、11月に左ふくらはぎの肉離れ。箱根出場はかなわず負の連鎖が始まった。左太もも裏の肉離れ、左臀部(でんぶ)の肉離れ、右大腿(だいたい)骨の骨折。まともに走れない時期が続いた。

3年時の箱根も5区の付き添い係。出場した同期の神野は「3代目山の神」と呼ばれる快走で、世間の注目を集めた。最後の箱根も神野をスタート前に給水やアップの手伝いなどで支える裏方の立場だった。チームの箱根2連覇も喜べなかった。「悔しかった。ケガだけはしないようにと誓った」。箱根で光を浴びた先輩、同期、後輩より先にMGCの切符を獲得した。

目標はあくまで東京五輪代表。「自分では暑さは得意なので」。夏に強い武器を生かして、さらに大きな栄冠を手にする。

 

◆橋本崚(はしもと・りょう)1993年(平5)9月26日、大分・由布市生まれ。大分西高を経て青学大に進んだが、故障などで箱根駅伝出場はなし。卒業後に埼玉・東松山市を拠点にするGMOアスリーツに入部。16年防府マラソンで初優勝。今回、6度目のマラソン挑戦で自己ベスト2時間10分19秒を大幅に更新。170センチ、54キロ。