立教大(立大)が6位で1968年(昭43)以来、55年ぶりの本大会出場を決めた。半世紀以上に及んだ低迷期の間は、他の運動部員を借りて駅伝大会に出場したり、部員が10人ほどだったりした時期もあった。低迷を打破すべく、2018年に大学総出で「立教箱根駅伝2024」事業をスタートさせ、上野裕一郎監督(37)のもと改革を断行。寮の整備や有望選手のスカウトを行い、箱根駅伝への切符をつかんだ。

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専用グラウンドはない。本戦どころか、予選会の出場すら危うい。どん底に落ち込んだ立大。68年から遠ざかっていた箱根路への道は見えなかった。00年代中盤になっても、長距離走の部員数が20人ほどで、少ない時は10人程度のこともあった。

前監督でもある原田昭夫総監督(67)は「予選会に出ることすら大変で、箱根を目指せる状況ではなかった。標準記録に届かないので、他の部から足の速い学生を借りてきた時期もあった」と明かす。

きっかけは同じ「MARCH」の青学大が史上6校目の4連覇を決めた18年。郭前総長の意向で「立教箱根駅伝2024」事業がスタートした。「箱根駅伝を起爆剤とし、OBなどを含めてオール立教で盛り上がることができるように」と抜本的な強化にかじを切った。

半世紀に及んだ低迷期に終止符を打つべく、監督候補に挙がったのが、中大で箱根駅伝に4年連続出場を果たした上野裕一郎監督(37)だった。エスビー食品、DeNAで上野を指導した瀬古利彦氏(66)の後押しもあり、18年に招へいした。

上野監督は「部員数の増加」と「陸上部の専用寮設置」を要望。大学の全面的なサポートを受け、20年3月に総工費約3億~4億の「紫聖寮」が完成した。現役を続け「走る指導」を続ける上野監督はスカウト活動にも奔走。現在、男子駅伝チームの部員数は、マネジャー16人を含めて63人に増え、就任4年目にして層も厚くなった。

21年に就任した西原廉太現総長からも変わらぬ支援を受け、150周年の24年より1年早く、目標を達成した。55年ぶりの箱根駅伝出場を決めた直後、上野監督は「大学が本気じゃなかったら、この結果は生まれない」と感謝した。原田総監督も「大変だった時期を知っているので、本当にうれしい。お祝いの電話やメールが鳴りやみませんでした」と喜んだ。監督や選手だけでなく、大学一丸でつかみとった箱根駅伝だった。【藤塚大輔】

◆立教大学 英語名セントポールズカレッジ。アメリカ聖公会の宣教師ウィリアムズ主教が1874年(明7)、東京・築地に創立。1918年に池袋に移転し、22年の大学令で大学に認可された。池袋と新座に2キャンパス、体育会専用グラウンドの富士見総合グラウンド(埼玉県)を抱え、文学部、観光学部など10学部27学科8専修1コースを設置している。主なOBは長嶋茂雄巨人終身名誉監督、関口宏、みのもんた、古舘伊知郎ら。西原廉太総長。学生数2万人。

◆上野裕一郎(うえの・ゆういちろう)1985年(昭60)7月29日、長野県生まれ。佐久長聖高の3年時に1万メートルで28分27秒39を記録し、当時の高校記録を更新した。中大では4年連続で箱根駅伝に出場し、3年時に3区区間賞を獲得。「スピードキング」と呼ばれた。卒業後はエスビー食品へ進み、09年に5000メートルで世界選手権の日本代表に選出。13年からはDeNAに移籍。18年に立大陸上競技部の男子駅伝監督に就任した。1万メートルの自己ベストは28分1秒71(14年)。身長183センチ。

 

▽立教大が前回箱根駅伝に出場した1968年の主な出来事

★1月 東京五輪マラソン銅メダルの円谷幸吉が自殺

★2月 大塚食品工業が「ボンカレー」発売

★3月 テレビアニメ「巨人の星」が放送開始

★4月 米国でキング牧師暗殺

★7月 郵便番号制度が実施

★同 参議院議員選挙で石原慎太郎が全国区でトップ当選

★同 集英社より「少年ジャンプ」創刊

★同 明治製菓が日本初のスナック菓子「カール」発売

★8月 チェコスロバキア(当時)で起きた民主化運動「プラハの春」が、ソ連などの軍事介入で弾圧

★同 ビートルズの「ヘイ・ジュード」が発売

★9月 タカラが日本版「人生ゲーム」発売

★10月 川端康成が日本人初のノーベル文学賞受賞

★同 和田アキ子が歌手デビュー

★同 メキシコ五輪開催

★11月 ビッグコミック(小学館)で「ゴルゴ13」連載開始

★12月 東京府中市で3億円事件発生

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