世界ランキング1位の北口榛花(25=JAL)が最終投てきでの劇的な逆転劇で、日本女子フィールド種目初の金メダルを射止めた。

4位で迎えた6投目で66メートル73のビッグスローをみせ、暫定首位だったフルタドの65メートル47を大きく上回った。前回大会の銅に続くメダルで、女子では史上初の2大会連続メダルとなった。さらに日本陸連が定めた24年パリオリンピック(五輪)の選考基準を満たし、2大会連続の五輪代表に内定。陸上ではパリ五輪内定“第1号”となった。

試合後には「興奮しすぎちゃってよくわかってないんですけど、最後の投てきでで自分が投げれるって信じてよかったなって思いましたし、これで終わってたらほんとに後悔すると思ってたので、必死に投げてよかったなって思います」と声を大きく弾ませた。

ついに手に入れた世界一の称号。「本当はもっと時間がかかると思ってたんですけど、こうして取ることができて。今まで頑張ったのがほんとによかったなって思いますし、自分が必ず歴史を作ると決めてここにやってきたので。ほんとに辛いことたくさんあるんですけど、でも、今日だけは、世界で1番幸せです」と歓喜に浸った。

今季は7月に行われた世界最高峰シリーズのダイヤモンドリーグ(DL)シレジア大会で日本新記録の67メートル04をマーク。DLでは3試合で優勝2回、2位1回と圧倒的な成績を収めてきた。国内外のメディアから金メダル候補筆頭と呼ばれる中、北口にはいつも気負いがなかった。

「勝つ時は勝つし、負ける時は負ける」

あくまで目標は「メダルだけ」。色には言及しなかった。

6月上旬の日本選手権で59メートル92で2位に沈むと「どうしてこういう結果になったのか」とすぐに己を見つめ直した。体を休ませることなく向かった海外遠征で、2つの“原点回帰”に取り組んできた。

1つ目はウエートトレーニング。「自分の武器は柔らかさや大きさ」とパワーアップを求めず、あえてトレーニングの負荷を7割程度に抑えた。やりを放つ時の角度を生み出す柔軟性を重視した。

2つ目は助走。「本来はスピードより、リズムに合わせるのが自分の投げ方」と、19年に日本記録(現2位)を樹立した時と同様、走り出しで足踏みをする形に戻した。

その2つの変更は、19年から師事するダビド・セケラク・コーチ(チェコ)から指示されたものではない。ともに自分自身で決めたことだった。「ベンチプレスはやりたくない」「足踏みをしたい」。そんな自発性がDL2勝、日本新記録への導線となった。

次に見据えるは、来夏のパリ五輪。2大会連続メダルの勲章を引き下げ、五輪へ突き進む。

◆北口榛花(きたぐち・はるか) 1998年(平10)3月16日、北海道旭川市生まれ。3歳で水泳を始め、小6時にバドミントンの全国大会で団体優勝。旭川東高1年時まで競泳と陸上の二刀流。日大へ進学し、19年からダビド・セケラク・コーチに師事。22年7月の世界選手権で、日本女子の投てき種目では史上初のメダルとなる銅メダル獲得。23年7月16日のダイヤモンドリーグ・シレジア大会で67メートル04の日本記録樹立。父幸平さんはパティシエで、ヘーゼルナッツが実る「榛(ハシバミ)」が名前の一部に。