フィギュアスケートが欧米から日本に伝わってきて100年余りがたつ。日本フィギュアの歴史が刻まれる中で、転機となった場所、リンクがある。今シリーズは「聖地巡礼」編として、日本フィギュアの歴史的な名所を紹介する。第1回はフィギュアスケートの発祥の地といわれる五色沼のある仙台。

 ただの池ではない。伊達政宗が築造した仙台城。かつて三の丸があり、現在は仙台市博物館の入り口付近の外堀に池がある。水が緑色に染まる、城のお堀。日本全国にありふれた風景だが、ここが日本フィギュアスケート発祥の地といわれる五色沼だ。

 1890年頃、外国人が五色沼で滑り始めた。1897年頃からは、外国人宣教師たちが、日本の子供たちにフィギュアスケートを教えた。その後はスケートの中心地となり、1931年に第2回全日本選手権が開催。35年に、32年レークプラシッド五輪女子シングル銀メダルのブルガー(オーストリア)が模範演技を披露した。

 戦後は五色沼だけでなく、仙台市の池、沼でスケートを楽しむ人が多かった。東北高を運営する南光学園の五十嵐一弥学園長(71)は「昭和30年代ごろから温暖化もあり、池、沼では滑れなくなった」と振り返る。五色沼も56年のアイスホッケーの試合を最後に、リンクとしての役目を終えた。

 池、沼では滑れなくなったが、スケート熱の高い仙台市には人工のリンクが続々と建設された。88年にはフィギュア発祥の地にふさわしいリンクも完成する。「アイスリンク仙台」。荒川静香が小学校から高校まで練習の拠点にした。一時閉鎖したこともあったが、本田武史、鈴木明子、羽生結弦ら名選手を輩出した。

 98年長野五輪では本田武史、田村岳斗、荒川静香、荒井万里絵と東北高在学の4人が代表に選ばれた。06年トリノ五輪では荒川、14年ソチ五輪では羽生が金メダルを獲得した。フィギュア発祥の五色沼から脈々と受け継がれた仙台の伝統が伝わってくるが、前出の五十嵐学園長によると、課題もあるという。

 2人の金メダリストを生んだ仙台には県営のリンクがない。五十嵐学園長は「東北の他の5県にはある。いまだに低料金で市民に提供できる公営リンクがないのは恥ずかしい。羽生選手が連覇したら、県に陳情したい。水泳のように、誰もが親しめる競技にしたい」と新たな「聖地誕生」の願いを込めた。【田口潤】