「1秒後、世界が変わる」。9月13日に東京・国立競技場で開幕する『東京2025世界陸上』の大会キャッチコピーである。
陸上競技はまばたきほどの、ほんの一瞬の差で勝者と敗者が決まり、時に新たな記録が生まれる。それは人間の肉体と精神の進化の瞬間でもある。
34年前の夏、その劇的な場面に初めて立ち会った。それは1991年(平3)8月25日、東京初開催の世界選手権第2日、男子100メートル決勝だった。
3連覇を狙う30歳の王者カール・ルイスが、9秒90の世界記録を持つ6歳下の新星リロイ・バレル(ともに米国)を、ゴール前で疾風のように抜き去った。1秒後、電光掲示板に9秒86の世界新記録が表示された。バレルも9秒88の世界記録。8人中6人が9秒台の史上最高のレースだった。
走る。ただそれだけのために超一流の本物が、鍛え上げた肉体と精神の限界を超えて競い合い、人間の能力を100分の4秒、先へと伸ばしたのだ。ゴール直後、ルイスは泣きながらバレルを抱きしめた。わずか10秒間に凝縮された極限のドラマに、私も国立競技場の6万人の大観衆も驚き、胸を打たれた。
当時、日本ではマラソン以外の陸上競技はマイナーだった。100メートルの日本記録は10秒20。決勝に日本人はいなかった。それでもルイスの涙の世界新記録を中継した日本テレビの瞬間最高視聴率は38・9%を記録。“世界陸上”人気に火がつき、9日間で58万人超の観客が押し寄せて、陸上が一気にメジャー競技へと昇格した。まさに世界が変わったのである。
日本人の進化の瞬間も目撃した。大会第4日。男子400メートル準決勝で高野進が大歓声の中、序盤からぶっ飛ばして3着でゴール。五輪・世界選手権を通じて日本短距離陣59年ぶりの決勝進出を決めたのだ。7位だった決勝も第4コーナーまでトップを争い、海外勢に抱いていた劣等感を吹き飛ばした。
「東洋人でも頑張れば十分戦えることを証明できたと思う。ここまで来られたのは高い目標を掲げて、決してあきらめなかったからだ」。日本人には手が届かないと思い込んでいた“世界のファイナリスト”を、夢から現実に変えた高野の言葉を聞いて、私も力がわいてきた。そして、その快走は後に続く日本のスプリンターたちを覚醒させた。
翌92年バルセロナ五輪で、男子400メートルリレーで日本が6位に入賞し、95年世界選手権で男子400メートル障害で山崎一彦が7位入賞。以後、為末大、末続慎吾、サニブラウン、リレー侍……次々と世界のファイナリスト、メダリストが誕生した。34年前、国立競技場で見たあの強い光と熱は、今へとずっとつながっているのだ。
東京で2度目の世界選手権が開幕する。連覇を目指す女子やり投げの北口榛花をはじめ、男子110メートル障害の村竹ラシッド、泉谷駿介、男子100メートルのサニブラウン、桐生祥秀、3000メートル障害の三浦龍司……この34年でトラックとフィールドに日本のメダル候補たちが一気に増えた。彼女、彼らがきっとまた世界を変えてくれるはずだ。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)



