人それぞれ、人生の中で転機があると思う。「自分を変えたい」「新しいことにチャレンジしたい」という時こそ、私がお勧めしたいのが、トライアスロンだ。

トライアスロンは3種目あることでクロストレーニング効果が期待され、身体のバランスが良くなる。また、タイムマネジメントがうまくなり、日々充実した生活が送れる。よって、心身のバランスが保たれ、健やかな生活が送れる。

今回は私とトライアスロンの出会い、経験を通して、トライアスロンのメリットについてお話をしたいと思う。

引退レースとなった2020年11月の日本選手権後(前列中央が筆者)
引退レースとなった2020年11月の日本選手権後(前列中央が筆者)

私は3歳から水泳をはじめ、中学1年までに全国大会など経験し、その後陸上競技に転向した。そして実業団まで陸上(長距離専門)を続けることになる。

実業団1年目の終わり、右アキレス腱(けん)付近の腱を3カ所ほぼ断裂するケガに見舞われた。走れなくなった。

その頃の私というと「結果を出したい」という気持ちより、「体重を維持しなければならない」使命感に追われていた。リミット体重は42キロ(身長161センチ)。「水を200ミリリットル飲むと、200グラム体重が増える」。そんな体重管理のことで常に頭の中はいっぱいだった。もちろん無月経の状態だ。1日5回は体重計に乗っていた。

今振り返ると、栄養や女性の身体に関して知識がなかった自分も悪い。だが、その当時はそんな事より体重管理が優先だった。

だから、ケガをした後も1日5~7時間はサウナスーツを着てエアロバイクをこぎ続けた。食事は主に豆腐や小魚。炭水化物を一切取らない生活は、1年ほど続いていた。

幸いにも身体は丈夫だったため、貧血などにはならなかったが、それより精神的に乱れている自分に気付いた。

「このままでは、終わってしまうかも…」

そう思った私は、ある決意をした。「毎日エアロバイクに乗ってるし、2年間は走れないし…今こそトライアスロンに転向するときなのかな」。

当時、1歩も走れないほど、走ることが嫌いになっていた。無気力になるというのはこういうことかと思い知らされた。と同時に、心の健康の大切さに気付いた。難しいのは、心の健康はなかなか表に現れにくく、改善方法も難しい。

しかし、自分が変わる気がないならば一生変われないと思い、陸上に別れを告げた。

トライアスロンに転向後、2012年6月時の筆者(左)
トライアスロンに転向後、2012年6月時の筆者(左)
2012年6月時の筆者(右から2人目)
2012年6月時の筆者(右から2人目)

振り返ると、このピンチが私にとっての最大のチャンスだった。

トライアスロンを始めて驚いたのは、当時お世話になっていた山根英紀コーチに「たくさん食べて、たくさん練習するぞ!体重計にはもう乗らなくてよいから封印しなさい」と言われたことだった。

拒食気味だった私は、精神的に乱れ、過食気味になり、3カ月で体重が20キロ増え、62キロになってしまっていたのだ。それを踏まえて、コーチはこの言葉をかけてくれたのだと思う。

そこから約2年、身体と心のバランスが整うのには時間がかかったが、ケガから回復し、体重も48~49キロとトライアスロン選手として適正体重になった。その間、体重計に乗ったのは、身体測定の時のみ。食事制限は一切なし、好きなものを好きなだけストレスなく食べていた。

いつからか「自分の身体がこの食事で出来ている」と意識し始めて来たころから、食べるものも身体が欲しているものへと変わってきた。

トライアスロンを始めてからは、無理をしないことと、楽しみながらやることを意識した。もちろん、トレーニングはきつい。陸上時代の1.5倍は動くし、3種目ある分、覚えることも盛りだくさんだ。しかし、それをも楽しめた。

1つの種目でうまくいかない時期でも、あと2種目でカバーできるので、精神的にもゆとりができる。実際、足の故障でランができなくても、その分心肺機能をスイムで強化し、筋力をバイクで強化してレースに挑んでいた。

トライアスロンは、心技体が融合する「スポーツの王様」だと思う。私はトライアスロンに救われたのだ。

昨今、コロナ禍で「免疫力」や「健康増進」というフレーズが飛び交っている。この言葉を聞くと、運動さえしておけばいいという捉え方もあるかもしれないが、みなさんには身体の健康だけでなく、心の健康も大切にしてほしい。

スポーツを通じて、健やかな生活を。

(加藤友里恵=リオデジャネイロ五輪トライアスロン代表)