21日午前9時、上野由岐子の1球で東京大会が始まった。23日の開会式よりも2日早い競技スタート。福島・あづま球場のマウンドからのストレートは、上野にとっても、日本にとっても、東京大会にとっても、特別な「1球」だった。

本来、オリンピック(五輪)憲章では大会開催期間を17日(を越えない)としている。「特例」として開幕前試合が行われるようになったのは、00年シドニー五輪から。1次リーグが中1日だったサッカーを、過密日程解消のために前倒しした。以来、サッカーは開会式を待たずに始まるのが恒例になった。

今大会では、それがサッカー以外で初めてソフトボールに適用された。開会式後は多くの競技が始まるから、日本国民はもちろん、世界の視線も分散する。開会式前なら日本中、いや世界に注目される。同一会場を使う野球との重複を避けて日程を組んだ結果、ソフトボールの初戦が「東京大会の開幕戦」になった。

日本チームの先陣という役割は大きい。ナショナルトレセン誕生やSNSの発展で、競技を越えた選手の連帯感は強く「チームジャパン」も意識される。上野の好投と3本塁打のコールド勝ちは、日本選手団を活気づけるのに十分。選手たちも「よし、やるぞ」という気持ちになるだろう。

ただ、この試合には「先陣」だけでない特別な意味があった。組織委員会が開幕戦の福島開催を決めたのも「復興五輪の象徴」とするため。被災地の子どもたちに五輪観戦の機会を与え、世界に向けて頑張る姿を伝えるため。誰もが注目する開幕前試合だからこそ、発信力は強くなる。福島県民の期待も大きかった。

新型コロナでの影響で開催の可否が持ち上がった。感染拡大が続き、組織委員会や政府、東京都の対応の悪さも問題になる。「復興五輪」というテーマも忘れられた。「コロナに打ち勝った五輪」になり「コロナと戦いながらの五輪」になった。この1年あまりで、状況は大きく変わった。

それでも、上野は投げ、東京五輪は幕を開けた。北京五輪から13年、その間に福島は被災し、そこから復興した。上野自身も苦難を乗り越え、再び大舞台に戻ってきた。思いをこめた力強い初球を見た時、新型コロナを忘れて「復興五輪の象徴」という本来の試合の意味を思い出した。

感染者の拡大は止まらない。五輪を取り巻く状況は悪くなる一方だ。だからこそ、競技は楽しみたい。新規感染者数ばかり気にしていては、スポーツの魅力も感じられない。必要なのはマインドチェンジ。上野の1球、そしてこの日の日本代表の戦いが、そのきっかけになるかもしれない。東京五輪は始まったのだ。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

オーストラリア対日本 無観客となった会場で力投する日本先発の上野(撮影・河野匠)
オーストラリア対日本 無観客となった会場で力投する日本先発の上野(撮影・河野匠)