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フィギュアスケート

本田真凜

本田真凜

ほんだ・まりん

本田真凜

所属JAL

生年月日2001年(平13)8月21日

身長、体重163センチ

出身地京都市

主な戦績17年USインターナショナル優勝。20年ババリアンオープン2位。20年NHK杯9位。16年世界ジュニア選手権優勝、17年世界ジュニア選手権2位。15年ジュニアグランプリファイナル3位

コーチ佐藤信夫

2022-23楽曲SP=アサシンズ・タンゴ、フリー=ムーラン・ルージュ

2022-23振付師ローリー・ニコル、宮本賢二

2021-22楽曲SP=Seven Nation Army、フリー=映画「LOVERS」より

2021-22振付師ローリー・ニコル

2020-21楽曲SP=ザ・ギビング、フリー=ラ・ラ・ランド

2020-21振付師マリナ・ズエワ、ローリー・ニコル

2019-20楽曲SP=セブン・ネーション・アーミー、フリー=ラ・ラ・ランド

2019-20振付師ローリー・ニコル、シェイリーン・ボーン

自己ベスト総合188.61(18年GPフランス杯)世界78位
SP「65.37(18年GPフランス杯)世界83位
フリー123.24(18年GPフランス杯)世界82位

練習時間(週)40時間(2019-20)→14時間(2020-21)

趣味ドライブ、水泳

SNS、ブログなどTwitter: marin_hondaInstagram: marin_honda

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プロフィル

2歳でスケートを始め、兄太一の背中を追いながら力をつける。のちに妹で女優と両立する望結、紗来も競技に取り組み、きょうだい4人で切磋琢磨(せっさたくま)している。

12年全日本ノービス選手権はノービスBの歴代最高得点で優勝。15〜16年シーズンからジュニアとなり、16年世界ジュニア選手権で初出場初優勝。日本女子では村上佳菜子以来、6年ぶりの頂点に立った。 ジュニア2年目はシニアに交じった16年12月の全日本選手権で4位。17年3月の世界ジュニア選手権ではザギトワに及ばず2連覇を逃したが、合計200点超え(201・61点)で2位となった。「やれることは全て出しきっての結果。技術的にも精神的にも、去年の自分に圧勝できたので悔いはない」と振り返る演技で、ジュニア最終戦を締めくくった。

平昌五輪シーズンとなった17〜18年は、シニア初戦となったUSインターナショナルで優勝。だが、GP初戦のスケートカナダSPで10位と出遅れ、この大会は5位。GP中国杯も5位でファイナル出場を逃した。全日本選手権7位で五輪の2枠はつかめず「少し間違いがあったのかなと思う。見つめ直したい」と悔しいシーズンを総括した。

18〜19年シーズンからは米国に拠点を移し、ラファエル・アルトゥニアン・コーチに師事。ジャンプを土台から見直し、18年全日本選手権は15位と苦しんだ。翌19〜20年シーズンは国内での練習の割合を増やし、本田武史コーチからも指導を受けるようになった。全日本選手権は8位となったが、SPは手応えを得た様子で「たくさんのお客さんの前で、自分らしい演技ができて、とてもうれしいです」と笑顔が戻った。

20年春に明大へ入学。1年目はアクシデントに苦しんだ。10月のジャパンオープンは右肩脱臼で欠場し、12月の全日本も、めまいで倒れて出場できなかった。

21年は2年ぶりに全日本選手権へ出場して21位。

大学3年生として迎える22~23年は「自分に自信を持ちたい」と新シーズンへの決意を示している。




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