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今日の誕生日

佐藤信夫(1942年)→Pick Up!


Pick Up! 佐藤信夫

日本フィギュアスケート界を代表する男子シングル選手、指導者が79歳になりました。

大阪で生を受け、同じくスケーターだった母親に連れられて小学5年で競技を始めました。関大一高1年時、15歳だった57年4月に全日本選手権を初制覇すると、そこから10連覇。いまだ破られない大記録を打ち立てました。

五輪(オリンピック)は2大会に出場。初出場した60年スコーバレー大会(米国)14位、64年インスブルック大会8位と健闘し、後の指導と日本フィギュアスケート界の発展に大きく寄与する情報も持ち帰りました(※1)。65年には国際スケート連盟(ISU)公認試合で日本人初となる3回転ジャンプ(サルコー)成功。その大会が世界選手権で自己最高の4位という好成績を収めました。

関大から国土計画(現プリンスホテル)に進み、引退後は指導者に転身。68年グルノーブル五輪で女子8位の大川久美子や男子21位の小塚嗣彦のコーチを務めました。69年には、その久美子夫人(現コーチ)と結婚。73年に生まれた娘の有香は、後に全日本選手権で優勝し、初の父娘制覇という記録も大会史に刻みました(全日本2連覇の久実子との母娘Vは2例目)。

72年札幌五輪の日本代表コーチに就くに当たり、国土計画を退社。品川プリンスホテルスケートセンターと、閉館後はKOSE新横浜プリンスセンター(※2)を拠点に佐野稔、松村充、娘の有香、安藤美姫、村主章枝、中野友加里、小塚崇彦、浅田真央らを指導しました。

日本フィギュアスケーティングインストラクター協会の会長を務めながら、現在も最前線で指導しています。先週の全日本選手権でも小林諒真(法大)唐川常人(日大)の指導でリンクサイドに立ち、教え子の、日本の選手たちを温かい目で見守っていました。

(※1)佐藤コーチが、スコーバレー五輪の男子シングル金メダリスト、デヴィッド・ジェンキンス(米国)のフリーを回想した連載「色あせぬ煌めき」の第1回はこちら

(※2)コロナ禍で迎えた新横浜スケートセンター30周年の記者コラムはこちら


今日の1枚

日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。

2009年1月10日
2009年1月10日

09年1月、アイスショーで和傘を手に持ち演技を披露する中野友加里。


今日の出来事

金妍児(キム・ヨナ)が韓国選手権を欠場へ(2007年)

フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルで優勝した韓国の天才少女、金妍児(16)が、腰痛のため9日から始まる韓国の総合選手権大会を欠場することになった。

3日、金の母親が現地メディアのインタビューに応じ、国内大会に参加しない旨の申請書を提出したと明らかにした。浅田真央らに逆転勝ちしたGPファイナルで痛めた軽いヘルニアのため3~4週間の治療が必要と診断されたという。

韓国選手権は同年3月の世界選手権(東京)韓国代表選考会(1枠)を兼ねており、欠場すれば世界選手権出場が微妙になる。実際に欠場し、韓国スケート連盟は難しい判断を迫られたが、最終的に金を代表に選出した。

腰痛は完治しないまま迎えたが、本番ではショートプログラム(SP)で当時の世界歴代最高71・95点をマーク。首位発進した。フリーは4位で総合は安藤美姫、浅田に次ぐ銅メダルだったが、韓国にとっては史上初で悲願の世界選手権メダル獲得となり、代表選考が正しかったことを自らの結果で証明してみせた。