日本テニス界に、ショックなニュースが飛び込んできた。4大大会6度の優勝を誇るベッカー(ドイツ)、01年ウィンブルドン優勝のイワニセビッチ(クロアチア)らを指導した世界的名コーチ、ボブ・ブレット氏(オーストラリア)が、がんで5日に亡くなった。67歳だった。

ブレット氏は、日本のテニス界と非常に関係の深い人物だった。85~87年の間、松岡修造のコーチでもあり、ブレット氏が率いたチームで松岡は指導も受けていた。松岡が引退した後も、松岡自身が立ち上げたジュニア育成キャンプの「修造チャレンジ」のスタッフとして育成に取り組んだ。錦織圭も、同キャンプで、ブレット氏の教えを受けている。

日本テニス協会は03年に男子の代表監督を依頼。しかし、国際テニス連盟の規約で、代表監督はその国の国籍保持者でなくてはならず、ブレット氏はスーパーバイザーとしての立場で、06年まで神和住純、竹内映二両監督と、日本男子の強化に取り組んだ。その後、杉田祐一(32)、綿貫陽介(22)のコーチも務めた、協会のジュニア育成のアドバイザーともなった。

オーストラリアを16度の優勝に導いたデビス杯監督で、マッケンローを指導したハリー・ホップマン氏(故人)の教え子として、コーチをスタートさせた。普段は柔和だが、コート上では厳しく、マナーにもうるさかったのは、師匠のホップマン氏譲りだった。

筆者も80年代後半からの付き合いで、たぶん最後は、一昨年の全仏会場だった。車いすテニスの国枝慎吾の試合を見ていると、ブレット氏がやってきて30分ほどテニス談議を交わした。少なくとも、真面目にプレーに取り組む日本人を非常に好んでいたと感じている。まだまだ、日本のテニス界が教えを受けなければいけない人だった。安らかにお眠り下さい。

◆ボブ・ブレット(Bob Brett)1953年11月13日、オーストラリア・メルボルン生まれ。プロ選手としては芽が出ず、74年にコーチに転向。米国にホップマン氏が開いていたアカデミーでコーチを始めた。その後、クリーク、ビランデル、松岡、ベッカー、イワニセビッチら、4大大会優勝者を指導した。20年に男子ツアーのATPから「生涯最優秀コーチ賞」を受賞した。弟のアーサーは、セーリングで東京五輪ラジアル級代表・土居愛実のコーチ。