異例ずくめの東京オリンピック(五輪)・パラリンピックが幕を閉じた。8月5日、東京都の新型コロナウイルス新規感染者は初めて5000人を超えた。それでも緊急事態宣言下の街にはどこか楽観的な空気が流れた。なりふり構わぬ招致活動で東京開催をセッティングした安倍晋三前首相、言葉足らずの菅義偉首相はこの1年で次々と政権を投げ出し、リーダーの使命があらためて問われた。誰のため、何のための大会だったのか-。パンデミック下の“祭典”を識者に検証してもらう。

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6月6日の朝日新聞の「声」欄にオリンピックの中止を求める投稿をしました。今、私たちが求めているのは幸せな「日常」が戻った世界であって、新型コロナの感染拡大が続く緊急事態宣言下でオリンピックを開催することは、それに逆行するという内容です。

「賠償金を払わねばならないのなら払えばいい。経済は取り戻せても、人の命は取り戻せないのだ」と書きました。

国が言うことを聞いてくれて、中止になるとは思わなかったけれども、何を言っても無駄だと諦めてしまうことはよくない、声を上げるべきだと考えました。翌日から会う人ごとに「見たよ」「度胸があるね」と言われ、今、国に対してものを言うことは、そんなに度胸が必要なことなのかと思いました。

国の指導者の第一の任務は「人々の命を守ること」です。オリンピックを開催して感染が広がり、たとえ1人でも亡くなったら、その命は戻ってきません。取り返しがつかないことになるのを恐れ、対処するのがその任務です。

オリンピックと感染拡大について、菅首相や小池都知事は「人流は減った」「ステイホームに一役買った」と言い、因果関係を否定しますが、開催期間中に急激に増えているのですから、誰が信じるでしょうか。

想像や予測ができることに対し、対策してこなかった。政治の責任だと思います。

自宅療養者は10万人を超えました。国や都はコロナ患者を受け入れない医療機関は病院名を公表すると、力関係で脅しをかけるような発表をしました。しかし、仮設病院や仮設病棟を造ることは難しいことではなかったはずです。昨年の緊急事態宣言から丸1年、何をやっていたのかと思います。

専門家をないがしろにし、海外で埋葬すら間に合わないほどの死者が出たときも、日本はそんなひどいことにはならないと根拠もなく楽観し、オリンピック中止の声は上がりませんでした。「民度のレベルが違う」というむちゃくちゃな発言さえありました。開催の判断は結局、1度決まったものはとにかくやり遂げるという精神論だったのではないかと思います。

コロナの前から7月に東京でオリンピックを開催するのは無理だと思っていました。2013年9月のIOC総会で、安倍首相は「アンダーコントロール」と発言し、東京電力の人さえさすがに「それはないです」と言ったことを今でも覚えています。

そして立候補ファイルの「東京の夏は晴れることが多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」。信じられなかったですね。

メディアはあの時点で問題化しなければいけなかったし、その後も問い続けなければいけなかったのに、笑い話で終わらせてしまいました。東京オリンピックの最大の功績は、オリンピックの正体があぶり出されたことだと思います。同時に国に対して声を上げないジャーナリズムもその在り方が問われたと思います。(聞き手=中嶋文明)

◆赤川次郎(あかがわ・じろう)1948年(昭23)福岡県生まれ。76年「幽霊列車」でオール読物推理小説新人賞を受賞し、デビュー。「三毛猫ホームズ」「三姉妹探偵団」など多くの人気シリーズを生み、著作は600冊を超える。「セーラー服と機関銃」「探偵物語」など映画化作品も多数。日刊スポーツでは82年「おやすみ、テディ・ベア」を連載した。2016年「東京零年」で吉川英治文学賞受賞。

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