日本オリンピック委員会(JOC)山下泰裕会長(64)が、東京五輪を総括した。1日、都内で日本記者クラブの講演に登壇。史上最多58個のメダルを獲得した結果について「選手、指導者、コーチの多大なる努力の成果が現れた。若い選手、チームゲーム(団体競技)での金メダルが、日本選手団躍進の大きな理由になった」と口にした。

感染症対策で海外勢が厳しい行動制限を強いられる中で、日本は自国開催のメリットとして、専用の練習拠点などを使って直前調整を十分に行った。コロナ禍で期せずしてホームアドバンテージが増大する形となった。山下会長は「各国はコンディション調整が大変だったと思う。会場でいろんな国の方に『申し訳なく思う』とおわびがてら話したが、すべての方から『何をいっているんだ、山下さん。よく大会を開催してくれた。感謝の気持ちでいっぱいだ。確かに制限は多いが、選手が成果を発揮する舞台をつくってくれた。これが大切なんだ』と言われた」と振り返った。

JOCは五輪後に各競技団体(NF)にアンケートを実施。現場の声として良かった点について「自国開催で早くから代表チームを編成して活動できたこと」「暑さ対策」「インティグリティ(高潔性)教育の成果があったこと」が挙がった。山下会長は「しっかりと準備して大会に臨めたということだった」とした。

一方で「JOCとしてはなはだ力不足だった」と謝罪した件もあった。コロナ禍での開催に、選手に対してSNSで代表辞退を求める声などが寄せられた。その際にすぐに有効な手だてを打てなかった。「選手は戸惑い、動揺したのではないかと思う。選手に寄り添うことができなかった」。

山下会長は、40年前の出来事を思い出したという。日本がボイコットした1980年モスクワ五輪。激励、励ましなどの手紙が多く寄せられたが、その中の1通に「あなたは自分のことだけを考えて、五輪に参加させてほしいという。アフガニスタンでどれだけの人がなくなっているのか。自分のことだけを考えるのはいいかげんにしろ」と書かれていた。今回の騒動が起きて、当時の友人から「お前が立ったまま玄関で体を震わせて、その手紙を読んでいた姿が目に浮かんだ。そのあと元気なかったよな」と言われた。「自分がかつてそういう経験をしていて、JOC会長という立場なのに選手に寄り添えたか、はなはだ疑問」と反省した。現在は監視体制の強化とともに捜査機関と協力していく方針を示している。

日本の金メダル27個は世界3位だった。大きな成果となったが、山下会長は「ただちに評価できるかといえば、そうは思わない。追い風が吹いていた。それだけで力がついたというのは時期尚早。次のパリ五輪で真価が問われる」とした。【益田一弘】