天理大が悲願の初優勝を遂げた。元全日本王者の穴井隆将監督(38)率いる古豪が全国大会としては29年ぶりの日本一。熱血漢の穴井監督は男泣きで学生をたたえた。

奈良・天理高時代に27年ぶりの全国制覇を遂げた黄金世代が、最終の4年生となって迎えた大会で宿願を成就した。この大会、関西勢としても初Vだった。

男子の全7階級が1人ずつ戦う団体戦。決勝では大会3連覇を狙う東海大と対戦した。

<先鋒戦(73キロ級)>

△内村 引き分け △顕徳

<次鋒戦(66キロ級)>

●岸  反則勝ち ○辺川

<五将戦(90キロ級)>

△安部 引き分け △水上

<中堅戦(100キロ級)>

○村尾 一本勝ち ●植岡

<三将戦(60キロ級)>

○辻岡 優勢勝ち ●古志

<副将戦(100キロ超級)>

●中村 反則勝ち ○中野

<大将戦(81キロ級)>

△天野 引き分け △中村

まず天理大が先勝。次鋒の辺川(べかわ)湧大(4年)が反則勝ちを奪った。しかし、ダブルエースの植岡虎太郎(4年)が、日本の90キロ級のホープでもある東海大・村尾三四郎主将(4年)に開始早々の内股で一本負けを食らう。さらに古志侑樹(3年)が熱戦の末、辻岡慶次(2年)に優勢負けした。

後がなくなったところで天理大の主将が意地を見せた。中野寛太(4年)が押し込んで押し込んで、試合終了間際に3つ目の指導を奪って反則勝ち。副将戦まで終えて2-2(内容優勢)とリードを奪った。

中野は静かに闘志を燃やしていた。「自分の前で3年生の古志が非常にいい試合をしてくれて。最後に失点はしてしまったんですけど、次の自分が引き分けたりチームが負けたりしたら後輩が責任を負ってしまうことになるので、何とか後輩のため、チームのために戦い続けました」。7人のうち唯一の3年生(他6人は4年生)のために体を張った。

引き分け以上で優勝が決まる最終7試合目の大将戦は81キロ級。中村洸登(4年)が東海大のスーパー1年生、天野開斗(1年)の大技一発狙いをかわし、執念の引き分けに持ち込んだ。

試合が終了すると、すぐ後ろを振り向いて仲間へ両拳を握った。中村は「応援にもいっぱい来てくれて、しんどい場面、みんなの顔が頭に浮かんで…。そのおかげです。自分だけじゃなく(4年生)14人、みんなそろってのチームなので、その気持ちしかなかったです。どんな4年生? …ふふっ。いい4年生です!」と喜びを爆発させた。

12年ロンドン五輪(オリンピック)100キロ級代表の穴井監督が14年に就任。しっかり成績は向上させて個人戦の日本一などは輩出してきたが、団体の日本一だけが遠かった。

今年6月の全日本学生優勝大会も3位。伝統の体重無差別7人制で、世界選手権100キロ超級2位の斉藤立(3年)らを擁した国士舘大に敗れ、鬼の形相で会場を後にしていた。

その大会で6連覇を遂げた学生最強チーム、東海大を破っての今大会の頂点。優勝決定の瞬間、めがねを外し、あふれ出る涙を抑えられなかった穴井監督は、目を真っ赤にして場内インタビューに登場した。

「まず、天理柔道に関わってくれる多くの方々、そして学生諸君、本当によく頑張ってくれました。ありがとうございます」

「天理高校が27年ぶりに日本一になって、そのメンバーを預かって、ここまでなかなか勝たせてあげることができなくて。ただ、いつも通りの力を発揮しろ、お前たちは強いんだと、最後はもう、信じてる、その一言で送り出しました」

「団体戦ですから、バトンをつなぐ、たとえ負けても次の人間につながる試合をしようと。言うのは簡単ですけど、学生が実行してくれたので、もう学生さまさまです」

「(中野の反則勝ちに)ああいうこともあるんだなと。執念、といつも言っているんですけど、彼らがここまでやってくれて、指導者冥利(みょうり)に尽きます。幸せです」

「この体重別団体では初優勝になりますし、天理高校を中心に、天理大学のOBの先輩方が素晴らしい選手を大学に送ってくれています。29年間、全国の優勝からは遠のいていましたけれども、ようやく扉をこじ開けることができましたので、もっともっと強い天理をつくっていけるように、さらに精進していきたいと思います」

万感の言葉を発し終えると、再び目元をぬぐった。天理大として、篠原信一や真喜志慶治を擁した1993年(平5)の全日本学生優勝大会以来となる日本一へ導いた。

主将の中野も、謙虚に歓喜の思いを口にした。「何とか…。部員に厳しいことも言えず、ほんと頼りないキャプテンやったんですけど、こうやって最後まで付いてきてくれて、キャプテンやってきて、最後しっかり勝てて良かったなと思います。目標にしてきた日本一という、しっかりタイトルを獲得できたので、これから後輩たちにもつながっていくと思います」と、黄金学年の集大成、そして将来への財産も実感する日本一に到達した。【木下淳】