2月の北京五輪フィギュアスケート男子で日本史上最年少メダル(個人銀、団体銅)を獲得した鍵山優真(19=オリエンタルバイオ/中京大)が、全日本選手権(21~25日、大阪・東和薬品ラクタブドーム)で9カ月ぶりに復帰する。18日までに応じたインタビューで出場意思を明言。7月末に痛めた左足首は疲労骨折寸前だったといい、グランプリ(GP)シリーズなど今季前半戦は欠場したが、初の戦線離脱から学んだこと、新技4回転フリップへの挑戦など近況を語った。

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鍵山は元気だった。拠点の中京大で公開した練習では4回転サルコーやトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を難なく成功。まだ披露していない新フリー曲「レイン・イン・ユア・ブラック・アイズ」を中心に舞った。サプライズもあった。4回転フリップ。トーループ、サルコー、ループに続く自身4本目の4回転ジャンプに挑戦していた。

最近の情報が乏しかったのは、長く表舞台から消えていたからだ。18歳、高校3年で出場した北京五輪で日本勢最高の銀メダル。3月の世界選手権も2年連続の2位に輝いたが、これが最後の実戦となっていた。

7月、アイスショー中に左足首に激痛が走った。「人生で一番の痛み。だけど少し休めば治るかな」。楽観視していたが、収まらない。「表面ではなく内部が痛くて。跳べないし、滑れない」とMRI検査を受けると「左距骨疲労性骨障害」。疲労骨折寸前だった。

直接的な受傷の心当たりはない。競技生活の蓄積。「まあ3カ月後のGPシリーズには間に合うだろう」と甘く見ていたが、一向に治らなかった。10月に入った。GPシリーズ出欠の判断期限が迫る。最後の通院を終え、なお芳しくない診断に父正和コーチから告げられた。「欠場しよう」。

車中で1時間、返答できなかった。葛藤した。「スケートを奪われたら僕には何も残らない。みんなに引き離されるんじゃないか。復帰しても追いつけないんじゃないか。嫌だ、休みたくない」。涙がこぼれた。

正和氏は「見るに堪えなかった」と泣く愛息に胸を締めつけられたが、説得はやめなかった。「選手生命に関わる。先は長い」。現実離れした言葉に、現実を突きつけられた。冷静になれた。「目指すは4年後の(26年ミラノ・コルティナダンペッツォ)五輪。無理せず治しながら強い体をつくっていくしかない」と。

欠場を決めた後は、まさに、けがの功名となった。「負傷の“おかげ”と言えるくらい、自分の体について知る機会になった。血液検査を受けたら骨を作るための栄養素が圧倒的に足りないことが分かって、トレーナーさんや栄養士さんと話して食事や睡眠の改善に取り組んだ」。ビタミンDや亜鉛の摂取に、睡眠は6時間から最低8時間へ増やした。欠場は正解だったと今なら思える。「生活改善で波がなくなって練習から安定するようになった」。

心も晴れた。GPファイナルに日本男子が4人も進出。12年以来10年ぶりの活況で、同じリンクで練習する宇野昌磨と山本草太が金銀メダル、親友の佐藤駿と三浦佳生も見せ場をつくった。しかし「焦りは本当になくて。ポジティブ以外の感情はなかった。応援のLINEとか普通に送ってました」と割り切れていた。

11月下旬になり、再び父と話し合った。気持ちは前向き。だが、完治していない。正和氏から全日本の棄権も提示された。優真は今度は譲らなかった。「全日本は絶対に出る」と押し返す。3年前、生観戦して憧れた自国での世界選手権(来年3月、さいたま)を狙いたい。「試合に関することでは人生で初めて、お父さんに自分の意見を言ったかも。スッキリした」。初の長期離脱で飢えていた。

まだ左足は突けない。4回転トーループは封印している。負担の少ないエッジ系の4回転サルコーと3回転半で勝負…の予定だったが、トライする。右足を突く4回転フリップに挑む。

「(北京五輪で降りた)ループや(負傷前の春夏は)ルッツを試してきたけど納得できなくて。軽い気持ちでフリップをやってみたら跳べそうな感じがした」

今月上旬の時点で降りてはいないが「試合に出るなら何かしら挑戦したい。成功しても失敗しても爪痕を残したい」とフリー冒頭に試みる覚悟だ。「4年後へのスタートとして後悔のない演技ができたら」。構成こそ北京の4回転3種4本から2種2本に落とすが、日本では宇野と佐藤しか成功例がない大技に挑戦。病み上がりとは感じさせない復活劇にする。【木下淳】

 

◆鍵山優真(かぎやま・ゆうま)2003年(平15)5月5日、横浜市生まれ。5歳で始め、19年全日本ジュニア優勝。全日本は昨年まで3年連続で羽生結弦と宇野に次ぐ3位。19年大会は高校1年で24年ぶりの表彰台だった。20年ユース五輪金メダル、4大陸選手権3位。21年GPシリーズは唯一の2連勝もコロナ禍でファイナル中止。今春、星槎国際高横浜から中京大へ進学。父正和コーチは91~93年に全日本3連覇、92年アルベールビルから五輪2大会出場。趣味は写真撮影、縄跳びは4重跳びまで可。161センチ。血液型O。